追跡!ワイナリー最新情報!『いにしぇの里葡萄酒』冷涼な気候が育んだ美味しさを閉じ込めたワイン

ぶどう栽培が盛んな長野県塩尻市の中でも、新しい産地として注目されているエリアのひとつが、「いにしぇの里葡萄酒」がある北小野地区だ。

今回紹介するいにしぇの里葡萄酒の代表を務めるのは、元料理人の稲垣雅洋さん。ぶどう収穫のアルバイトをしたことがきっかけでワイン造りに興味を抱くようになり、ワイナリーでの手伝いと、塩尻ワイン大学の受講を経てぶどう栽培をスタート。自身のワイナリーである、いにしぇの里葡萄酒を2017年に設立した。

いにしぇの里葡萄酒の自社畑は標高850mほどの高地にあり、昼夜の寒暖差が大きいのが特徴だ。稲垣さんが最初に植えたぶどうは、一般的には栽培が難しいとされるピノ・ノワール。2024年現在はそのほかに、赤はメルロー、白はシャルドネを主力に7品種のぶどうを栽培している。

樽熟成のワインが主力で、さまざまない人に飲んでもらうために幅のある価格帯のワインを提供しているいにしぇの里葡萄酒。2022年以降の取り組みや最新情報について、稲垣さんにお話を伺った。

『自然が相手のぶどう栽培 難しさと面白さ』

まずは、2022年以降のぶどう栽培について振り返ってみたい。

2022年は梅雨明け後も続いた長雨に悩まされた年だった。9〜10月になってようやく雨が少なくなったものの、夏にしっかりと気温が上昇しなければ赤ワイン用品種は完熟することが難しくなり、色付きも今ひとつとなる。

また、標高が高い場所にある北小野地区では、例年11月上旬には初霜を観測している。しかし、2022年は10月中に気温が低下して初霜が下りたタイミングがあった。そのため、収穫時期が遅い品種に関して大きな影響が出た年となったのだ。詳しく見ていこう。

▶︎天候に悩まされた2022年と、最高の出来だった2023年

「自社畑で栽培しているメルローなどの品種は、毎年10月20日前後に収穫をしています。しかし、2022年は収穫予定のほんの数日前に、急激に気温が下がったのです。一気に低温になった影響で葉が落ちてしまい、急遽、収穫を早めることにしました」。

SNSでボランティアを募って、翌日すぐに収穫したことで大きな損害は出なかったが、ボルドー系品種の一部は熟しきっていない状態での収穫となった。しかも、この時の気温の低下はわずか1日だけで、次の日からはまた例年並みの気温に戻ったのだとか。

「10月中の初霜は初めての経験でした。大切に育ててきたぶどうを予定していたタイミングで収穫できず、悔しい思いをしましたね。しかし、標高が高いエリアで栽培をしているので、このようなリスクはつきものなのです。本当は10月末まで置いておきたかったのですが、仕方ありませんでした」。

雨の振り方や急な気温の変化は自然の営みであり、人間には対策を取ることが難しい。そのため、根本的な方針をしっかりと固めて、品種選びから慎重に検討することが大切なのだ。

もちろん、夏の気温がしっかりと上昇した場合、いにしぇの里葡萄酒の自社畑で育ったぶどうは素晴らしい品質となる。日本各地の多くのワイナリーが課題としている赤ワイン用品種の色付きに関しても問題はない。赤ワイン用品種がしっかりとした色付きには昼夜の寒暖差が必要だが、いにしぇの里葡萄酒の自社畑は標高の高さから大きな寒暖差が発生する。

例えば、2018年のような猛暑の年には、北小野地区のメルローやカベルネ・フランは非常に出来がよかったのだという。

そして、2023年も同様だった。6月にはすでに猛暑といえるほどの気温を記録し、梅雨明けには快晴が続いた。台風に見舞われることもなく、収穫時期にも雨がほとんど降らなかった。その結果、どの品種もまんべんなく素晴らしい出来を記録。病果がほとんど出なかったために収量も確保できた。

「2023年は、ぶどうの品質が安定していて、非常に満足できる結果となりました。同じ畑で同じ品種を栽培していても、ヴィンテージによって大きな違いが出るのが、ワインの面白さであり難しいところでもありますね」。

▶︎さらに土地に適した品種を

いにしぇの里葡萄酒で栽培しているのは、冷涼な北小野地区の特性を考慮して、早熟系の品種が中心。今後も、早めに収穫できる品種を中心に植栽を進めていく方針だという。

「しっかりと完熟してから収穫できるよう、早熟系の赤ワイン用品種を増やそうと考えています。2021年にはピノ・ノワールを植えました。カベルネ・フランとメルローに関しては現状維持を続けようと考えています。また、試験的に植えているシラーの品質が非常によいので栽培面積を増やして、より本格的に取り組もうと考えています」。

いにしぇの里葡萄酒周辺で、より標高が高い場所でぶどう栽培をしているワイナリーでも、シラーを栽培して成功している例がある。色付きがよく、皮が厚いために病気にもなりづらいのがシラーの特徴。玉割れなどを起こす心配がないため、稲垣さんも大きな可能性を感じている。

いにしぇの里葡萄酒は2023年にワイナリーとして6年目を迎えた。これまで重ねてきた経験を品種選びの面でも生かし、さらなる成長を遂げようとしているのだ。

▶︎雨対策を徹底して効果を実感

続いては、ぶどう栽培における工夫や、新たな取り組みを紹介しよう。近年の急激な気候変動に合わせ、冷涼な気候でのぶどう栽培においても、雨対策の強化が必要になってきたと稲垣さん。

いにしぇの里葡萄酒ではワイナリー創立当初から、雨による病化の発生を防ぐことを目的として、ビニールのレインプロテクションをおこなってきた。台風や秋雨対策のため、実施のタイミングは8月末頃から順次対応を進めることにしていた。だが、最近は対応の変更が必要になってきたという。

「ここ数年は、梅雨明け宣言が出てからも、ひと月ほども雨が続く不安定な天候が続くことが多くなってきました。そのため、6月の終わりから7月頭くらいには早々とレインプロテクションをかけ、房が小さい段階から、ぶどうに直接雨が当たらないような対策をとっています」。

早めのタイミングでレインプロテクションを設置することの効果は非常に高く、6〜7月にしっかりと防除しておけば、あとはほとんど防除しなくても病気の発生も心配ないほど。つまり、以前よりも早くレインプロテクションを設置することで、雨除けの効果だけでなく、結果的に減農薬でのぶどう栽培が実現しているのだ。

「工夫しながらぶどうと向き合っていますが、自然に対して人間ができることは少ないと感じますね。農業とはそういうものだと思いますので、できることをできる範囲でやるのみです」。

『いにしぇの里葡萄酒 おすすめ銘柄の紹介』

続いてフォーカスするのは、いにしぇの里葡萄酒の2022年以降のワイン造りについて。

いにしぇの里葡萄酒の新たな魅力を表現しているのが、ブラッククイーンを使ったワインだ。また、樽熟成の醍醐味を存分に味わえる銘柄も続々と登場。

そのほかにも、おすすめの銘柄が目白押しのいにしぇの里葡萄酒のワインについて、余すところなく紹介していきたい。

▶︎ブラッククイーンのワイン「Possibility」

いにしぇの里葡萄酒では、2021年ヴィンテージからブラッククイーンを使ったワイン「Possibility」を造っている。原料のぶどうは、「信州塩尻小松ファーム」から購入した。

「ブラッククイーンは酸が高い品種で、色も非常に濃く出ます。造り方によってはしっかりとボリューム感がある赤ワインになりますよ。酸っぱくなりすぎず、飲みやすい味わいにする点に苦労しました」。

酸を抑えるために収穫時期を遅らせて、醸造段階においても、酸が乳酸に変わる反応である「マロラクティック発酵」を用いるなどの工夫を凝らした。また、樽を使ってボリューム感を出すために古樽を使ったり、ステンレスタンクを使ったりとさまざまな手法を試している。

元料理人の稲垣さんは、自社醸造のワインのおすすめペアリングをお客様に提案する機会も多い。酸味が特徴的な「Possibility」は、牛肉のトマトソース煮込みと合わせて欲しいと話してくれた。

▶︎樽熟成で複雑味を表現した「北小野ブラン.土」

2022年ヴィンテージのワインの中から稲垣さんのおすすめを尋ねると、「北小野ブラン.土」の名前が挙がった。北小野地区で採れたケルナーとゲヴュルツトラミネール、リースリングをブレンドしたワインだ。

さわやかな酸が感じられる味わいの「北小野ブラン.土」はアロマティックな香りが最大の特徴で、ゲヴュルツトラミネール由来のライチやバラの香りが華やか。ケルナー、ゲヴュルツトラミネールを10か月熟成し、別に仕込んだリースリングをブレンドすることにより酸味を補っている。

「以前のヴィンテージではステンレスタンクで1年ほど熟成させていましたが、2022年からは古樽に入れています。樽香をつけるためではなく、穏やかに酸化熟成させて複雑味を持たせるための施策です」。

「北小野ブラン.土」は、スパイスを使ったエビのグリルなど、エスニックな魚介料理に合わせるのがおすすめ。しっかりと冷やしてから大ぶりのグラスに入れて、時間をかけてゆっくりと飲んでみてほしい。温度による変化も楽しみながら味わいたいものだ。

『オリジナリティあふれるワイン』

いにしぇの里葡萄酒のワインは、ネーミングにもオリジナリティがあるのが特徴だ。

一般的には、同一品種を使ったワインは、ヴィンテージが違っても同じ銘柄としてリリースされることが多いのではないだろうか。だが、いにしぇの里葡萄酒のワインは独自のルールで名付けがおこなわれている。

また、スタンダードシリーズのワインについても特徴的な構成となっていて興味深いので紹介したい。

さらに、収穫や醸造における当たらな取り組みについてもお話を伺った。詳しくみていこう。

▶︎ナイアガラの新酒「キリイ」と「ほのな」

2023年12月、いにしぇの里葡萄酒ではナイアガラを使ったワインを2種類リリースした。辛口の「キリイ」と、やや甘口の「ほのな」だ。2023年のナイアガラは過去最高に糖度が上がり、非常に高品質だったという。

「『キリイ』は、少し早めに収穫したナイアガラを使いました。酸が適度にありつつも、華やかでレモンや梨のようなフルーティな香りもあります。ポン酢で食べる鍋料理や、鳥わさポン酢、お寿司など幅広い和食に合いますよ」。

一方、低温発酵させた「ほのな」は酸味が穏やかで甘味をより強く感じられる甘口白ワイン。ワインをあまり飲み慣れない方でも楽しめるだろう。長野の郷土料理である「山賊焼き」との相性は抜群だ。

ここで、いにしぇの里葡萄酒のワインのネーミングに関して紹介したい。2023年にリリースしたナイアガラの新酒は「キリイ」と「ほのな」という名前だが、以前のヴィンテージでは異なる名前だったそうだ。一体どういうことなのだろうか。

「ワインはぶどう100%の飲み物で、農産物です。同じ品種を使ったワインでも、年ごとの収穫物によってまったく異なるものになりますよね。そのため、ワインをリリースする前にテイスティングした印象から、個別の名前を付けています」。

例えば、メルローとカベルネ・フランのブレンドワインは、2019年が「木洩れ日」、2020年が「相対性」、2021年が「矛と盾」と、それぞれ異なる名前を持つ。家族でテイスティングしながら名付けているそうだ。

年ごとの味わいを表現した固有名称をつけることで、その年のワインがどういうものだったのか、自分の中で紐付けしやすいというメリットもあると話してくれた稲垣さん。年ごとに異なるネーミングは、稲垣さんの遊び心たっぷりの脳内整理術でもあったのだ。

▶︎「冬春夏秋(とうしゅんかしゅう)シリーズ」

続いて、非常にユニークなカテゴリー分けが特徴の、いにしぇの里葡萄酒のワインのシリーズについても紹介したい。スタンダードラインである「冬春夏秋(とうしゅんかしゅう)シリーズ」についてである。

シリーズは「冬」「春」「夏」「秋」という4つのカテゴリに分けられている。一般的な順序の春夏秋冬ではなく、ぶどう栽培が始まる時期である「冬」からスタートしているのがポイントだ。これは、ぶどう栽培が冬の剪定から始まって秋の収穫で終わることを示している。

各季節のぶどうの樹のイラストのエチケットデザインは、シンプルで非常にスタイリッシュ。元デザイナーだという稲垣さんの奥様がデザインを担当している。

まず、「冬春夏秋シリーズ」の各季節は価格帯を示しており、1000円台が冬、2000円台が春、3000円台は夏、4000円以上が秋となっている。

そして、「冬春夏秋シリーズ」最大の特徴は、年ごとのワインの出来によって、それぞれの銘柄を振り分ける季節が違うという点。つまり、品質がよければ上のカテゴリに入れるため、同じ品種を使ったワインであっても、ヴィンテージ違いの「春ラベル」と「秋ラベル」が存在することがあるというわけだ。なんと個性的な施策だろうか。

いにしぇの里葡萄酒のワインを手に取る際には、ヴィンテージ違いのワインをいくつか飲み比べて、年ごとの味わいの特徴を感じてみるのもよいかもしれない。

▶︎新しい試みに挑戦した2023年

2023年に実施した取り組みについて稲垣さんに尋ねてみたところ、ナイトハーベストを実施したとの回答をいただいた。

「ケルナーとゲヴュルツトラミネール、シャルドネのナイトハーべストを実施しました。2023年は素晴らしく健全な品質のぶどうができたので、収穫前に病果を落とす必要がありませんでした。そのため、午前2時からスタートして、日が高くなって香り成分が減る前には収穫を終えることができたのが非常によかったですね」。

ナイトハーべストとは、「3MH(3-メルカプトヘキサノール)」という香り物質の前駆体の備蓄が最大となる時間帯である夜間に、通常よりも香り成分が多い状態でぶどうを収穫することを指す。グレープフルーツのような柑橘系の香りを豊富に持った果実は、素晴らしいワインになるポテンシャルを秘めている。

また、ピノ・ノワールの仕込みでも新たな取り組みをおこなった2023年。ピノ・ノワールも健全な出来だったため、梗の一部を天日で3日間ほど乾燥させ、仕込み中のワインに戻すというチャレンジングな手法を採用したのだ。ピノ・ノワールのワインは樽熟成を経て、2025年の春から夏にかけてのリリースが予定されている。

さらに、2023年はメルローも品質がよかったので、例年なら10日ほどで終わる発酵期間を倍の20日間に伸ばし、発酵が終わってからも醪(もろみ)を漬け込んで抽出を強めにおこなった。

「ぶどうの品質がよいと、さまざまな新しいチャレンジができるということを感じた2023年でしたね。今後もさらに多くのことに挑戦していきたいと考えています」。

『まとめ』

いにしぇの里葡萄酒では、毎年10月にメルローの収穫イベントを開催している。

「コロナ禍の期間は開催を見送っていましたが、ようやく再開できて嬉しいですね。ぶどうの収穫後には、ランチとして私が準備した料理とワインを楽しんでいただきました。飲み手の皆さんからのダイレクトな反応をいただけるよい機会なので、私自身も楽しみにしているイベントなのです」。

2024年以降も収穫祭を実施予定とのことなので、興味がある人は、ぜひSNSで最新情報をチェックしてみてほしい。

かつては飲食店を経営していた稲垣さんは、将来的にはワイナリー併設のオーベルジュを始めたいという構想を抱いている。そんな次の目標に向けて、当面は自社畑の面積を増やし、コンクールにも出品して認知度アップを目指す。いにしぇの里葡萄酒のファンを増やし、実際にワイナリーに来たいと思ってくれるファンを増やしたいと考えているのだ。

新しいぶどう産地として注目される塩尻市の北小野地区を、さらにアピールして盛り上げていきたいと話してくれた稲垣さん。これからの取り組みと、今後リリースされるワインに、引き続き期待したい。


基本情報

名称いにしぇの里葡萄酒
所在地〒399-0651
長野県塩尻市北小野2954
アクセス【電車】
小野駅から徒歩12分
【車】
塩尻ICから車で11分
HPhttps://inishe-no-sato.com/

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