北海道富良野市にある市営ワイナリー「富良野市ぶどう果樹研究所 ふらのワイン」(以下「ふらのワイン」)は、地域の農業振興を目的として設立されたワイナリーだ。
ふらのワインは、市内の農家から仕入れたぶどうと直営圃場で栽培したぶどうを使ってワインを造る。また、自社オリジナル品種の研究や、北海道では栽培実績がほとんどない新たな品種の栽培などにも積極的に取り組んでおり、常にさまざまな挑戦を続けてきた。
富良野の地を知り尽くしたふらのワインだからこそ、造るワインはいずれも「富良野らしさ」がしっかりと表現されている。富良野の個性を表現することが、ふらのワインの目指すワイン造りなのだ。
今回は、ふらのワインの2022〜2023年のぶどう栽培とワイン造りの様子に迫るため、製造課長の高橋克幸さんにお話を伺った。
2022年に大きな節目を迎えたふらのワインならではのエピソードと、ワイン造りに対する造り手のこだわりと情熱にも注目してほしい。
『気温の上昇と品質の向上 2022〜2023年のぶどう栽培』
まず最初に、2022〜2023年の気候を振り返りたい。冷涼な気候が特徴の北海道だが、近年は、これまでになく高い気温や気象状況が観測されることも珍しくはないようだ。
2022〜2023年のふらのワインの圃場では、どのようなぶどう栽培がおこなわれたのだろうか。高橋さんにお話いただいた。
▶︎2022年と2023年の天候を振り返る
2022年と2023年は全国的にも暑さの厳しい年だったが、富良野も同様だったようだ。
「2年とも気温が高めに推移し、雨も多かった印象ですね。これまでもだんだんと温暖化して来ている傾向はありましたが、その傾向が特に顕著な年だったと記憶しています」。
ぶどうの生育シーズンである4〜10月の、「日の平均気温-10℃」を足し合わせた値を「有効積算温度」と呼ぶ。有効積算温度によって世界の気候区分は5つに分類されるが、これまで富良野は、もっとも冷涼な気候区分である「リージョンⅠ」だった。だが、気温の上昇によって、次第に「リージョンⅡ」に温度帯が変化してきたのだ。富良野の2022年の有効積算温度は1,300度、2023年は1,500度に達した。
ちなみに、「リージョンⅠ」に該当する著名なぶどうの生産地には、ドイツ・ライン川流域やブルゴーニュ北部、シャンパーニュ地方がある。一方、「リージョンⅡ」に含まれるのは、フランス・ロワール中流やボルドー、イタリア北部など。つまり、属する気候帯が変化したことで、富良野はカベルネ・ソービニヨンなどの品種が十分に成熟するのに最適な温度帯になってきたということである。
気温の上昇だけではなく、いわゆる「蝦夷梅雨」と呼ばれる長雨が発生し、開花の時期に雨が降るなど、雨量が増加してきたのも悩みの種だ。
しかし、富良野は北海道の中でも、ほかのエリアよりは降雨量の少ない地域。ぶどう栽培にとっては変わらず恵まれた環境であることには変わりないため、傘かけなどの雨対策は今のところ必要ない。今後あまりにも雨が増え、栽培に影響が出そうであれば、まずは土壌に対しての何らかのアプローチを取っていくそうだ。
▶︎ぶどう栽培により適した土地に
気候条件の変化はぶどう栽培にとって大きな影響を持つものだが、高橋さんは、変化をネガティブに捉えているわけではないと話してくれた。
「雨が増えるなどの傾向はありますが、基本的には、富良野がぶどう栽培により適した気候になってきていると感じます。以前より温暖になったことでぶどうの熟度が上がりやすくなっているうえ、栽培できる品種の幅も広がってきました。また、富良野で栽培したぶどうは酸が強すぎたのですが、次第に穏やかになってバランスのよい味わいのぶどうができるようになりました」。
実は富良野は、北海道のなかでも独特な気候の特徴を持つエリアだ。夏場は35℃を超えるほどに暑くなる一方で、冬は極寒。この気候によって果実がしっかりと成熟するため、一般的に北海道では栽培が難しいとされる品種も導入が可能だ。
また、ぶどうの着色や熟度に密接に関係する「寒暖差」が大きい気候であることも、ぶどう栽培にはメリットがある。夏季には日中と夜間の気温差が15℃以上で、さらに夜温は20℃くらいまで下がる。夜の気温が十分に下がると夜間に糖度が蓄えられて熟度が上がり、色づきもよくなるという、よい循環が生まれるのだ。
▶︎適合品種を探して
これまで、「北海道での栽培には適さない」と言われる品種も積極的に導入し、栽培を推進してきたふらのワイン。富良野の地に適した品種の見極めは、今も継続している。
北海道の中でもいち早く栽培してきたカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローなどは、気候の変化によって、すでによい結果が出はじめている。近年は、シラーやリースリングの調子も右肩上がりだ。
「2021年は過去最高に暑く、さらに乾燥もしていたヴィンテージでしたが、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ピノ・ノワール、シラーの糖度がすべて24度を超えました。凝縮感のあるよいぶどうができましたね。北海道ではカベルネ・ソービニヨンの栽培は難しいと言われてきたくらいですから、糖度をここまで上げることができたのは本当に素晴らしいことです。今後もカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローの可能性を広げ、品質もさらにアップさせていきたいです」。
▶︎リースリングとシラー
ふらのワインが栽培している品種のうち、今後さらに注目していきたい品種がリースリングとシラーだ。
リースリングは数あるドイツ系品種の中でも、完熟させることが難しい品種のひとつだとされている。ふらのワインの圃場で栽培しているリースリングは、気温が高くなってきたことで、ようやく成熟度をじゅうぶんに上げることが可能になった。
また、シラーは北海道での栽培実績はほとんどない品種だ。ふらのワインではいち早くシラーの栽培を始め、20度以上に糖度が上がるまでになってきた。まだ試験中で栽培量が少ないため、今後少しずつ追加で植栽していく予定だという。
「シラーは比較的冷涼なフランス北部や、温暖なオーストラリアでも栽培されているように、幅広い気候帯に対応できる品種です。自社圃場で栽培しているシラーには冷涼な雰囲気がありますが、今後は温暖な気候特有の特徴が出てくるかもしれません。これからも気候はゆるやかに変わっていくことが予想されますので、富良野での栽培に適した品種を探し、先手を打ちながらやっていきたいです」。
ぶどうは、植栽から収穫までに時間がかかる果樹だ。苗木を作って植え付け、収量が安定するまでというと、10年がかりの取り組みとなる。そのため、変動する気候に対応する品種を見極めるためには、10年先の環境を予測し、先回りして対応していくことが必要となる。
「これまでは北海道でのぶどう栽培といえばドイツ系品種が中心でした。しかし、今から10〜20年後には、ドイツ系品種を育てるのは難しくなっていくことでしょう。そのときのためには、今のうちから新たな対策を仕掛けていくことが欠かせません」。
▶︎新しい課題への対応
気温上昇と降水量の増加はそのほかの点にも影響を及ぼし、いままでは見られなかった課題に直面することも増えた。例えば、病害虫による被害や鳥害・獣害の増加だ。2022年は、特に「べと病」が多い年だったという。また、2023年は鳥害・獣害が多かった。
「空を真っ黒に覆うほどの鳥の大群が飛んできました。報道によると、普段は寒さとともにいなくなるはずの渡り鳥が暖冬の影響で移動せず、ロシア方面からは普段は北海道に来ない渡り鳥が来てしまったため、被害につながったようです」。
鳥が襲来したのは、ちょうどぶどうの収穫時期だった。幸いにもふらのワインの自社圃場の被害は最小限に抑えられたが、近隣には大きな被害を受けた生産者もいた。
鳥害の難しい点は、対策が困難なところにある。もっとも効果があるのは畑にネットを張る方法だが、広大な圃場すべてに対応するのは現実的ではない。また、音を出して追い払う方法はカラスのように賢さと警戒心を持つ鳥には有効だが、小型の渡り鳥は五感がそこまで鋭敏ではないのか、音がしなくなるとすぐに戻ってきてしまうという。
今後、有効な対策が見つかれば、積極的に導入したいと話してくれた高橋さん。大自然の中でおこなうぶどう栽培には、毎年新たな課題が立ちはだかる。襲いかかる苦難を着実に乗り越えながら、ふらのワインはまた一歩、成長を続けていくのだ。
『富良野を感じるワイン 記念銘柄や自然発酵ワイン』
続いて紹介するのは、ふらのワインで製造しているワインについての情報だ。ワイナリーがある富良野の味を表現するべく、ワイン醸造に取り組んでいるふらのワイン。
富良野のテロワール表現を突き詰めた数々のワインの中から今回ピックアップするのは、記念銘柄ワインと自然発酵ワイン。こだわりや味わいを見ていきたい。
▶︎50周年記念銘柄 「Σ(シグマ)」と「∞(インフィニティ)」
2022年に50周年を迎えたふらのワインから、記念銘柄としてリリースされたのが「Σ(シグマ)」と「∞(インフィニティ)」というふたつの銘柄だ。
いずれも「徹底的に富良野にこだわる」ことをテーマに、5年間の構想を経て生まれたワイン。各銘柄の特徴と、名前の由来を紹介していきたい。
「Σ(シグマ)」という銘柄のネーミングは、数学用語で「総和」をあらわす記号「シグマ」に由来。「50年間の思いや技術の総和」という意味を込めた。限定700本の少量生産だったため、発売後すぐに売り切れたそうだ。
「『Σ(シグマ)』に使ったぶどうは、直営圃場で一番樹齢の高い38年目のツヴァイゲルトです。ぶどうの表面についている野生酵母のみで発酵させました。その後、富良野で育った『ミズナラ』の樹で作った樽で熟成させたので、究極の富良野ワインだといえるでしょう」。
もうひとつの銘柄は、「無限」を意味する記号「∞(インフィニティ)」。これからもふらのワインがずっと続くようにという願いを込めた。使用した品種は、セイベル13053とヤマブドウを交配した、ふらのワインのオリジナル品種である「ふらの2号」だ。生産本数は4000本で、オンラインショップにて購入可能である。
「∞(インフィニティ)」の味わいには、ふたつの特徴的な要素がある。ひとつは「ふらの2号」の味と香りで、もうひとつは「ミズナラ樽」の独特の樽香だ。
ヤマブドウ系統の「ふらの2号」は、ヤマブドウ系品種のなかでは比較的穏やかな味わいを持つ。交配に使用されているヤマブドウは「コアニティ」という系統で、柔らかな味わいが特徴なのだ。青さを感じる香りや強烈な酸は控えめで、糖度も高く着色も濃いというバランス感のある品種。そのため、「∞(インフィニティ)」においても、「ふらの2号」らしい味わいのバランス感やカシスやベリーといった香りのニュアンスが感じられる。
「使用しているのは当たり年だった2021年のぶどうなので、力強さも十分にあります。もう少し熟成させると、さらに美味しく飲めると思いますよ」。
また、「∞(インフィニティ)」の個性をさらに際立たせるのは、ミズナラの樽由来の白檀のような香り。オリエンタルで和を感じさせるテイストが、最大の特徴なのだ。
「ほかに例えられるものがないほど、独特で唯一無二を感じられるワイン」だと評価する高橋さん。今までにない香りと滋味深い味わいは、ジビエ料理とのペアリングにぴったりだ。
▶︎ミズナラの樽
「Σ(シグマ)」と「∞(インフィニティ)」を熟成させた「ミズナラの樽」についてのエピソードを紹介したい。ワインの樽は一般的にオーク材で作られるが、ふらのワインの50周年に合わせて、あえて富良野で育ったミズナラの樽を使ったのだ。
ミズナラの樽を作る計画は、数年がかりで進めた。山に行って適した樹を切る所からスタートしたのだ。ワイン樽として使うためには、まっすぐに育ち、ある程度の太さが欠かせない。これらの要素を満たすには、樹齢が150年から200年もの大木が必要だった。
切った木材はスペインのワイン樽メーカーに送り、現地で2年間じっくりと乾燥。ようやく樽が完成した。
ミズナラ材は手に入りにくく、オーク材と違って液漏れしやすいことなどから、今後はミズナラ樽を使ったワイン醸造の予定はないそうだ。ミズナラ樽熟成のワインは50周年ワインのみ限定で、非常に貴重なものになった。
「樽の材質選びからメーカー選びまで、樽づくりに真剣に取り組んだので、樽作成の工程全てに密着できたのはよい経験でした。おかげで、樽に関して非常に詳しくなりましたね」。
▶︎自然発酵ワインにも注力
近年、ふらのワインが醸造において力を入れているのが、自然発酵ワインの製造だ。自然発酵とは、ぶどうに付着している天然の微生物を使って発酵させることである。
「自然発酵にはリスクがつきものなのですが、ナチュラルワインのニーズが高まっているため、ふらのワインでも少しずつチャレンジを始めていたのです。1000ℓ単位で少量の仕込みを続けてきましたが、お陰様で年々評判がよくなってきています」。
自然発酵したワインとして紹介するのは、「アシリフラヌイ」シリーズだ。「アシリフラヌイ」とは、アイヌ語で「新しい富良野」という意味を持つ。工場限定・数量限定で3種類のぶどう品種を展開している。オンラインショップでは手に入れられないため、北海道まで足を伸ばした際には、ぜひとも手に入れたい。
シリーズのうち、「アシリフラヌイ ツバイゲルトレーベ」は、厳選したツバイゲルトレーベを使って自然発酵させた銘柄。甘い芳醇な香りと果実味が特徴だ。
「同じ品種を使って、自然発酵のワインと培養酵母発酵のワインの両方を造っているので、飲み比べていただいてもおもしろいですよ」。
酵母の種類が違うと、両者には明確な個性があらわれるという。培養酵母では狙った通りの香りを表現しやすいが、自然発酵を使うとさまざまな香りの要素が複合的に絡み合う。自然発酵のワインには、特有の「しなやかさ」があると高橋さんは言う。
「土地にいる微生物の特徴が出るのかもしれません。地域や畑の区画によって、生息する微生物の種類が異なります。どの土地もそれぞれの気候風土にあった微生物が住んでいるので、微生物の働きが生み出すものこそが『テロワール』だという研究者もいるほどです。微生物の持つ力を生かすことで、土地を表現するワインができると思っています。今後も自然発酵で、富良野ならではの味を表現できるワインを造っていきたいですね」。
『ふらのワインの新しい取り組み』
最後に、ワイン醸造以外の取り組みについてもスポットを当てていこう。新たなチャレンジを続けるふらのワインの最新情報をお届けしたい。
▶︎新しい機材の研究開発 「ウルトラファインバブル」で酸化を抑制
「ウルトラファインバブル」という技術をご存知だろうか。ナノサイズの泡を発生させ、洗浄などに応用する技術である。ふらのワインでは、このウルトラファインバブルを、醸造に活用すべく研究開発をおこなっている。
「ウルトラファインバブルを使ってワインの酸化を抑制できないかという研究をおこなっています。微細な泡を液体の中に溶け込ますと、泡は数か月間液体の中に留まり続けます。ワインの中にアルゴンガスなどを含んだ泡を吹き込むことで、酸化・熟成を抑えて鮮度をキープするという方法を試しているのです」。
ワイン醸造では、酸化をいかに防ぐかが重要だ。酸化が進むと味や香りを出すことが難しくなり、酸化はワインそのものの鮮度を落とす原因にもなる。
ワイン醸造の過程では、発酵終了後に酸化が進みやすく、特にろ過の工程が酸化が進む原因になりやすい。そのため、ろ過直後にウルトラファインバブルを入れることで、鮮度をキープできる可能性が高くなるのだ。
「ウルトラファインバブルによって酸化抑制が可能になれば、酸化防止剤を入れずにワインを安定させられるでしょう。実験は成功しつつあるため、これからはより大きなタンクなどを使って、さらに実験を重ねていきたいです」。
▶︎SDGsへの取り組み
ふらのワインは富良野市の一部署でもあり、SDGsにも積極的に取り組んでいる。持続可能な農業を続けるためにおこなっているのが有機栽培だ。環境に優しい農業を実践し、次世代につなげられるぶどう栽培を目指す。
有機栽培をおこなっている畑では、化学農薬を一切使わない。また、使用する肥料も自然由来のものを検討している。そのひとつが、富良野市が回収した刈り取った草や木から作られた堆肥の利用である。
有機栽培したぶどうを使ったワインは、今後リリースが予定されている。ふらのワインが作る有機ワインがどのような味わいになるのか、リリースを楽しみに待ちたい。
『まとめ』
酷暑に見舞われた2022〜2023年の富良野ではあったが、気候の変化は決してマイナスに働いたわけではなかった。ふらのワインの圃場で栽培されたぶどうは成熟度をしっかりと上げ、未来に向けてより幅広い可能性を示したのだ。
ワイン醸造に関しては、50周年記念銘柄や自然発酵ワインなど、「富良野」のエッセンスがふんだんに詰め込まれた魅力的なワインを次々と生み出したふらのワイン。
ぶどう栽培や醸造だけでなく、新技術の研究開発も積極的に進め、幅広い分野でさらなる挑戦を続けるふらのワインに、今後も引き続き注目していきたい。
基本情報
名称 | 富良野市ぶどう果樹研究所 ふらのワイン |
所在地 | 〒076-0048 北海道富良野市清水山 |
アクセス | JR富良野駅よりタクシーで5~10分 道央道三笠インターチェンジから乗用車で1時間 |
HP | http://www.furanowine.jp/ |