若尾果樹園・マルサン葡萄酒は、甲州市勝沼町の中でも歴史あるワイナリーのひとつ。地域の共同醸造所を起源に持つ、家族経営のワイナリーだ。
自社畑は観光ぶどう園も兼ねており、家族経営ならではの温かさで訪問客を出迎える。代表の若尾亮さんは人と人のつながりを大切にし、お客様だけでなく同業者や契約農家とも密な交流を欠かさない。
若尾果樹園・マルサン葡萄酒は、スタンダードなワイン造りが魅力だ。いたずらに流行りに乗るのではなく、自分たちがよいと思うワインを変わらず提供し続けることを重視する。
特に「品種個性の表現」にこだわりを持ち、ワイン醸造を行っているのが特徴だ。
お客様が手にとりやすいワインであることを意識しているからこそ、ラインナップを大幅に変えることはない。また、直接交流するなかで、変わらない魅力を持つ若尾果樹園・マルサン葡萄酒のワインを飲んでもらうことが大切だと考えているのだ。
家族経営の魅力あふれる若尾果樹園・マルサン葡萄酒に、2021年シーズンのワイン造りについてインタビューをおこなった。新型コロナウイルスの影響が大きかった2021年、ワイナリーにはどんな動きがあったのか。1年間の足取りを追ってみよう。
『 2020年の雨を乗り越えて 2021年のぶどう栽培』
最初に紹介するのは、2021年のぶどう栽培の様子だ。
本題に入る前に、若尾果樹園・マルサン葡萄酒の2020年のぶどう栽培について、おさらいしておこう。1年を通して雨が多かった2020年は、厳しい天候に直面して苦しんだ。
雨が多いと、湿気に弱いぶどうは病害虫による被害を受けやすくなる。「2020年は、過去に例をみないほど、収量が減った年でした。例年の半分以下の収穫しかできなかった品種もありました」。
2020年の危機を乗り越え、2021年は「ワイン造りについて考え直した年」だったという若尾さん。今一度、ワイナリーとしてのあり方を考えるタイミングだったのだ。
それでは、2021年の栽培に関する取り組みや、ぶどうの出来と天候について紹介しよう。
▶ぶどうの収量は増加 「天候に逃げない」と決めた2021年
「収量は、2020年よりも増えました。近隣のワイナリーさんと話すと、2021年はワイナリーや圃場ごとの出来の差が大きい年だったと感じています。難しい年だったにも関わらず収量を増やすことができたので、自信につながりましたね」。
白ぶどうの甲州に関しては、例年の1.5倍ほどの収量を記録。自社圃場のぶどうは順調に生育し、契約農家の収量も多い年だった。
収量が増加したことに伴い、仕込み量も昨年より増量。満足のいく結果になった。若尾さんにうまくいった理由について伺うと、「欲張りすぎず、基本に立ち返って『よい塩梅』を目指したこと」だと話してくれた。
2021年の天候は、ぶどうにとっては決して喜ばしいものではなかった。梅雨明け後の雨は多く、早熟なぶどう品種では日照不足の影響も出た。しかし若尾さんは、天候を言い訳にすることはもうしないと言い切った。
「自分のキャリアは、もう14年目。いわゆる『中堅』です。そろそろ『天候に逃げてはいけない』と思うようになったのです」。
毎年天気が違うからこそ、ワインにはヴィンテージごとの個性が出て面白くなる。悪い天候も個性と捉え、年ごとに全力を尽くすべきだと考えるようになったのだ。新興ワイナリーが数多く立ち上がり、周囲に若手が増えたことも、考えの変化のきっかけとなった。
2020年の天候を教訓にし、若尾さんは栽培について見直すことを決めたのだ。もともと、先代である義理の父親から、栽培のいろはを習った若尾さん。経験に基づく技術を継承することはもちろん大切だが、基礎的な栽培方法を学び直すことも必要だと考えたのだ。
▶近所のぶどう農家へ勉強にいく日々 基礎の見直しで自分を鍛える
若尾さんは近隣の優秀なぶどう農家のもとで、栽培方法の師事を仰ぐことにした。教えてもらっていたのは、主に「剪定作業」が中心だ。また、実際に畑での作業を見せてもらったり、自分の畑をチェックしてもらったりと、栽培方法の基礎知識を強化した。
今回勉強しなおした「剪定」は、ぶどう栽培で必要な作業のなかでも、とりわけ難易度が高いとされている。見極めが困難で、やめどころが分かりづらい仕事なのだ。
まず、切るべきところかどうかの判断が難しい。しかも、切った結果が正解だったかどうかの答え合わせができるのは、ぶどうが成長してからだ。
「『この枝を伸ばしたい』と思って切っても、時間が経つと、思っていなかったほうの枝が伸びてしまっていることもありました。剪定の結果はぶどうが成長することで現れます。自分の剪定が正しかったかどうかは、答え合わせをしながら進めていくしかないのです」。
すぐに結果が出ないという恐ろしさは、常に不安との戦いだ。
若尾さんは剪定を「ゴールでもありスタートでもある仕事」と表現する。栽培家の腕が試される作業なのだ。
「勉強させてもらったかいがあり、2021年のぶどうは非常に高品質でした。自分でも納得できる品質のぶどうが栽培できたと感じています」。
難しい天候のなかでも満足のいくぶどうが栽培でき、行動が結果につながると確信できた1年だった。
▶「アルバリーニョ」棚栽培の可能性
2021年に若尾さんが新たに植樹した品種がある。白ぶどうの「アルバリーニョ」だ。アルバリーニョは海沿いが原産のぶどう品種であり、和食との親和性が高い。日本で育てるワイン用ぶどうとして、特に注目されているぶどう品種のひとつだ。
「自社畑ではなく、勉強先のぶどう農家さんの畑に、植え付けの勉強を兼ねて植樹しました。収穫が今から楽しみです」。
アルバリーニョを選んだ最大の理由は、「信頼するぶどう農家の育てたぶどう」をワインにしてみたいと考えたからだ。若尾さんは勉強先のぶどう農家に信頼を寄せている。そのため、尊敬するぶどう農家が「植えたい」といったぶどうであるアルバリーニョを植樹した。
アルバリーニョを育てているなかで、考えたことがあるという。ワイン用ぶどうの「棚栽培」の見直しについてだ。
アルバリーニョは、ワイン用ぶどうとして採用される「垣根栽培」を避け、圃場にもともとあった棚を活用した。注目されているぶどう品種での棚栽培に、あえて挑戦したのだ。
「観光ぶどう園だった場所にある圃場なので、バスが入れるよう、棚の高さが高いのです。収穫までには通常以上に時間がかかるかもしれませんね」。
アルバリーニョの栽培が始まって、まだ1年目。通常は収穫まで3〜4年だが、背の高い棚の場合には、さらに2年ほどの歳月が必要になる。
若尾さんが棚栽培を見直したいと思っている理由は、管理の容易さや、日本の風土に合っているのではという観点からだ。ぶどうの健全な生育や農家の作業効率を考えて、棚栽培が優れている点に注目している。
「勉強先の農家さんと一緒に、冗談半分に、『タナバリーニョ』という名前のワインにしようかなぁなんて話しているのです」と、いたずらっぽく話してくれた若尾さんの笑顔が印象的だった。
『品種個性を表現できたワイン醸造 新商品にも注目』
続いては、最新のワイン醸造や2021年ヴィンテージの特徴についてみていこう。なんと新アイテムも醸造中なのだとか。醸造中のエピソードについても紹介したい。
▶ 2021年ヴィンテージは酸味の高い仕上がり 品種個性を大切に
「今年のぶどうの特徴をあえていうと、『酸が高い』ことですね。酸は大事ですし、好まれる要素ですが、若尾果樹園・マルサン葡萄酒では酸が高すぎる仕上がりは狙っていません。基本は変わらず、品種の個性を出すことを目指します」。
若尾果樹園・マルサン葡萄酒の基本のスタンスは「品種固有の特徴を表現すること」。品種の表現は、どのヴィンテージであっても揺るがない醸造の目標だ。
「ひねりを加えたものよりも、方向性は変えず、定番のものを安定して造りたいという思いがあります。2021年は酸が強いので、やや酸を抑えた仕上がりを目指したいですね」。
酸を低くするためには、収穫時期を遅らせる方法もある。しかし、数々の契約農家との取引がある若尾さんにとって、収穫時期の後ろ倒しはスケジュールの兼ね合いがあり難しい。
そのため、ワイン醸造の工夫で、品種個性を出しつつ酸を穏やかにしていくという。発酵中の香りを確認した段階では、品種の個性がしっかりと表現できているそうだ。
「2022年のリリースに向けてしっかりと熟成させていきたいですね。悪くない出来になるはずですよ」。
▶ワイン関係以外のつながりから生まれる新商品
「ワイン関係以外の人とのつながりも大切にしていると、お互いに新しい刺激を受けられることがあります。知り合いのブリュワリーとの交流で生まれたワインも、もうすぐリリースできそうです」。
ブリュワリーとは、ビール醸造所のこと。なんと、知り合いのブリュワリーから借りた「ビールを熟成させていた樽」で熟成中のワインがあるという。
熟成中のワインは、甲州を皮ごと発酵させたいわゆる「オレンジワイン」。若尾果樹園・マルサン葡萄酒では、オレンジワインが流行する前から、「皮ごと醸した甲州」を生産していた。若尾果樹園・マルサン葡萄酒で2013年からレギュラー商品として醸造していたアイテムを、ビール樽で熟成させる新たな試みだ。
新アイテム最大のポイントは、「ビール樽」を使用していること。実は、ブリュワリーで使用されるビール樽は、もともとワイナリーやウイスキーの醸造所などで使用されていた樽だ。
ワイナリーからブリュワリーに樽を引き継ぐことはあっても、逆のケースはほとんどないのだという。
「ちょうど1年前のことです。仲のよいブリュワーの人から、樽を使ってみないかと提案を受けたので、チャレンジすることにしたのです。実際にブリュワリーに行って樽の香りをかぎ、自分が一番好きな香りがすると感じた樽を選びました」。
樽はワイン醸造に使用したあと、またブリュワリーに返却される予定だ。その後も継続してビール醸造に使用され、樽の歴史は続いていく。
「知り合いのブリュワーは、「いつ、どこで、なにを」醸造したかを樽に記録しています。樽にストーリーが刻まれていくイメージですね。リスキーな造り方ではありますが、新しい試みなので、ワクワクしています」。
ブリュワリーとワイナリーを旅した樽で熟成された「醸し甲州」のワイン。いったいどんな味に仕上がるのだろうか。樽の歴史を感じながら口に含むと、ひと味違った楽しみ方ができそうだ。
また、若尾果樹園・マルサン葡萄酒ではほかにも新アイテムがある。生食ぶどうを使用したワインだ。リリース時期は未定で、これからエチケットのデザインを考えるところだという。どんなスタイルのワインになるのか、想像しつつ楽しみに待ちたい。
「自分なりのノウハウができてきた今だからこそ、外部とのつながりもいかして、新しいものを生み出していくのは楽しいです」。
基本的には定番のラインナップを造るのが好きだという若尾さんだが、新しいものへの取り組みにも意欲的だ。キャリアを重ねたことでみえてきたことや、人とのつながりから浮かぶインスピレーションがあるのだろう。
『若尾果樹園・マルサン葡萄酒の未来を考える』
2022年以降の若尾果樹園・マルサン葡萄酒を、今後どのように運営していくかについて、検討すべきタイミングだと若尾さんは考えている。
若尾果樹園・マルサン葡萄酒の未来への計画を紹介していきたい。
▶観光ぶどう園との両立を考える
「2021年は新型コロナウイルスの影響で、売り上げが落ちました。観光ぶどう園のお客様が少なかったことが大きな要因です。一方で、ワインの発送件数は増えました。これから若尾果樹園・マルサン葡萄酒をどのように運営していくか、考える時期に来ていると感じています」。
客足が戻った時のことを考え、観光ぶどう園の運営も大切にしたい考えだ。先代の頃から、若尾果樹園・マルサン葡萄酒はお客様と近い距離で接することを大切にしてきた。お客様と深く交流するあたたかさが、若尾果樹園・マルサン葡萄酒の魅力のひとつだ。
一方で、「時代の流れ」についても考える。果たして観光客の量は、新型コロナウイルス流行前まで回復するのだろうか?観光のスタイルも以前とは変わっていくのでは?変わるかもしれない時代の流れを前に、「ワイン生産と販売、発送」に比重を置く選択肢もある。
「果樹園をなくすことは考えていませんが、どのような比重で経営するのかという悩みがあります。2022年は、ワイン生産と果樹園運営の最適な経営バランスについて決断する年になるでしょう」。
▶無農薬野菜とのコラボ 小規模ワイナリーだからこそできることを大切に
「2021年には、無農薬野菜を栽培する近所の農家さん『マル神農園』と協力し、野菜とワインのセット販売をしました。新たな取り組みに気軽にチャレンジできるのも、小規模ワイナリーだからこその強みです。2022年も、フットワークの軽さを維持したいですね」。
他社とのコラボはお互いによい刺激になり、コロナ禍がきっかけで新たなつながりもできた。若尾果樹園・マルサン葡萄酒は、新しい可能性を常に模索しているのだ。
規模を拡大せず、長く続けることが好きなのです、と話す若尾さん。素朴で自由な人柄には、温かさあふれる魅力がある。親しみやすさとチャレンジ精神を武器に、これからも若尾果樹園・マルサン葡萄酒は新たな試みをみせてくれることだろう。
『まとめ』
若尾果樹園・マルサン葡萄酒にとって、2021年は「考える」1年だった。天候に逃げないこと、ワイナリーの将来を考えること。新型コロナウイルスの影響も大きく、若尾さんの胸にはさまざまな思いが巡った。
そんななかでも、ぶどう栽培は昨年よりも収量を上げ、高品質なぶどうを収穫。ワイン醸造では、基本の味を大切にしつつ、新しい商品を生み出した実りある年だった。
変わらないことを大切にしながらも、経験やノウハウを生かして新しいことにも踏み出した若尾果樹園・マルサン葡萄酒。家族経営ならではののびのびとした自由さで、これからも周囲の人々とともに、味わい深いワイン造りを続けていくことを期待したい。
基本情報
名称 | (有)マルサン葡萄酒 |
所在地 | 〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼3111−1 |
アクセス | 勝沼ぶどう郷駅から車で5分 勝沼IC インターから車で5分 |