スタンダードを守り抜く、小規模ワイナリーならではのこだわり『若尾果樹園・マルサン葡萄酒』

日本のワイン造り発祥の地であり、日本ワイン生産のトップを走り続けている山梨県。南に富士山、西に南アルプス、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2000〜3000mを越す山々に囲まれた山梨県の中心にある、広大な甲府盆地。
ワイン用のぶどう畑とワイナリーはその甲府盆地周辺に集中している。

甲府盆地の中でも、最も有名なワイン産地でもある甲州市勝沼町に、観光農園とワイナリーを営む「若尾果樹園・マルサン葡萄酒」がある。
旧甲州街道、勝沼宿に三代続くぶどう農園・ワイナリーで、スタンダードで親しみやすいワイン造りに定評がある。
今回は、家族経営のワイナリーとしてファンの多い「若尾果樹園・マルサン葡萄酒」の魅力を伝えたい。

『若尾果樹園・マルサン葡萄酒の歴史』

若尾果樹園・マルサン葡萄酒(以下「マルサン葡萄酒」)のぶどう栽培の歴史は古く、その起源は江戸時代中期から後期にまで遡り、勝沼町全体では1,400年ほどの歴史があるという。

昭和20年、地域の共同醸造所の誕生が、現在のマルサン葡萄酒のワイン醸造の始まりとなった。共同醸造所とは近隣農家がぶどうを持ち寄ってワイン醸造を行う場で、勝沼で現在まで何代か続いているワイナリーは、だいたいこの共同醸造所を起源としているのだという。

その後山梨の多くのぶどう農家がワイン醸造を行い、個人で醸造免許を持っていたが、戦後、国税庁の指示で醸造家が法人化を図らねばならなくなった。
そのことをきっかけに、昭和38年、有限会社マルサン葡萄酒は創業し、現在は三代目である若尾亮代表にまで引き継がれている。

マルサン葡萄酒はワイン用ぶどうとして、白は甲州、シャルドネ、赤はマスカット・ベリーA、メルロー、プチベルドーを自社で栽培している。
マルサン葡萄酒の自社畑の土壌は砂地で水はけがよく、川沿いにあるため冷たい風が常に吹き抜ける、ぶどう栽培にとってはかなりの好立地だ。

甲州、マスカット・ベリーAは創業時から栽培されていたが、シャルドネ、メルロー、プチベルドーの栽培は若尾さんの先代から栽培され始めた。
そのきっかけになったのは平成10年の大雪だったという。

「平成10年、ちょうど成人式の日だったんですけど、大雪でビニールハウスがデラウェアの棚ごと潰れてしまったんですよ。」

そのため、先代はデラウェアを切って棚も片付け、ワイン専用品種である、シャルドネ、メルロー、プチベルドーを垣根栽培で育て始めたのだ。

『ワイン醸造未経験の三代目を支えた「横のつながり」』

マルサン葡萄酒三代目、若尾亮さんは先代の娘婿にあたる。
出身は勝沼だが、大学進学のために上京、20代は東京で音楽活動に打ち込んでいた。30歳になった時、幼なじみでもある奥様と共に、地元に戻ることを決意。どうせ山梨に戻るならなにかものづくりがしたい、と考えていた若尾さんに、奥様が「うち、跡取りいないよ。」と言ったのがきっかけで、若尾さんが三代目を継ぐことになったのだという。

インディーズでの活動ではありつつもCDを制作し、全国ツアーも行うほど本格的に音楽活動をしていたため、それまで若尾さんはフリーターの経験しかなかった。もちろんワイン醸造の経験は皆無。

「最初はワインなんて、何?っていうくらいの感じでした。」

若尾さんは知識ゼロの状態から、先代である義父や山梨の先輩醸造家から様々なことを学び、醸造技術を身に付けていった。

「つくづく、山梨で良かったなあ、と思ったのは横のつながりが強いことです。」

山梨のワインのレベルが急激に上がったとされる10数年前は、山梨のワイナリー組合が勉強会を始めた時期と重なっている。
それまでも組合は存在していたし、新酒祭りのような大きなイベントもあったが、メーカーの垣根をも超えた勉強会は若尾さんの先代の頃には皆無だった。
山梨の組合は現在、各分野の専門家を招いて様々な勉強会を積極的に行なっていて、若尾さん自身も勉強会の役員を務めている。

「オフフレーバー(醸造・熟成・輸送・管理などの過程において、何らかの理由によって生じてしまった異臭とされる匂い)の勉強会を行ったこともあります。発酵の途中で出てくる悪い匂いを体で覚えて、自分のワインでそれが出てこないようにするんです。」

こうした勉強会を通じ、醸造での失敗がなくなり、結果的にマルサン葡萄酒は醸造技術をレベルアップさせたのだ。

勉強会の後は必ずと言っていいほど飲み会が行われる。

「飲み会って言ったら、みんな自分の造ったワインを持って行って、他の人に飲んでもらうんですけど、それはそれはスリリングな瞬間で。たとえば僕が甲州のワインを持っていくとすると、他の醸造家の甲州と比べられるわけですから。」

このような飲み会では、会社の規模やその人の年齢・経歴などにかかわらず、皆がフラットな立場で話をすることができ、包み隠さず技術の話ができる、とも若尾さんは語っている。プロ同士の厳しくもオープンな場が、若尾さんを鍛えたのだ。

「気候だけで言ったら、ぶどう栽培で長野にかなうわけはないんですよ。でも、こういう横のつながりが、山梨のワイナリーの強みなのだと思います。」

また、山梨のワイナリー組合では、山梨だけで固まらず、もう少し外に意識を広げていこうと話し合っているそうだ。オンラインを利用した県外のワイナリーとのディスカッションを考えているのだとか。

若尾さんは醸造家同士だけではなく、地元農家とのつながりも大切にしている。
共同醸造所の名残があるマルサン葡萄酒では、年間2万5千本のワインを生産している。
そのうち約半分の1万本は、近所の農家のぶどうを醸造しワインにしてお返しする、委託醸造の分になっている。委託醸造を請け負っている農家からはワインの原料としてぶどうを購入することもある。
また、ワイン原料のぶどうを生産している契約農家30軒とは、ただぶどうを買ってワインを造るだけの関係ではない、強いつながりを持っている。

「ワイナリーと農家の間に距離があるケースもあるようですが、ワイン造りという文化が継承されるためには、それぞれの存在が必要なのです。農家は年々減ってきているし、うちで畑を増やすことも考えていないので、農家とのつながりは大事にしたいです。」

ワイン醸造家同士のつながりと、農家とのつながり。そのふたつの貴重な横のつながりは、マルサン葡萄酒が持つ魅力の理由の1つなのかもしれない。

『家業だからこそできる。スタンダードを貫く、ワイン造りへの姿勢』

今年の長梅雨による7月の冷害は、マルサン葡萄酒にも少なからず影響を与えた。メルロー、プチベルドーに関しては7割減、シャルドネは5割減、甲州に関しては例年なら3t収穫できるところ、今年は500kgにまで収穫量を落とした。

「自然が相手ですから、承知の上でやっています。近所のぶどう栽培大ベテランのおじいさんが、『100点取れると思うな。60点取れればバンザイ、80点取れれば祭りだ祭り。色々あるけど、大丈夫、来年またぶどう取れるから』って言ってました。それを聞いてから、長い目で見ればいい、と思うようになりました。」

とにかく続けることを最優先にしたい。そう若尾さんは語る。

大きな規模のワイナリーもあるが、マルサン葡萄酒は小さい会社のまま、あくまでも家業としてやる、と考えている。
大きい会社には大きい会社の役割があるが、小さい会社だからこそできていることがあるのだ。

「東京で音楽をやっている時も、インディーズのままでやっている意味を問われることがありました。でも、プロとしてやってしまうと、商品になってしまう。
そうなると意に反したこともやらなければならなくなり、音楽が嫌いになってやめていく例をいくつも見てきたんです。
もちろん真剣にやるんですが、あくまでも好きなことをやるために、インディーズであり続けていました。
自分がいいと思うものを作り上げて、それをお客さんに届ける。そういう意味では、今やっていることはインディーズで音楽をやることと、離れていないかもしれません。」

醸造へのこだわりは、あまり奇をてらったことをしないことだという。

「ものづくりはスタンダードが一番だと思っています。」

ブームはコロコロ変わるから、できるだけ流れには乗りたくない、とも思っているそう。長い目で見ると、落ち着くところはやはり、スタンダードなものを作るという考えだ。

「今、オレンジワインが流行っていて、うちでも甲州を皮ごと発酵させたワイン(醸し甲州)があるけどそれはオレンジワインの名前がでる2年ほど前、2012年から僕は造っていました。流れに乗っているみたいでちょっと癪なんですが(笑)これからも造り続けます。」

あまりラインアップも増やさず、手に取りやすいものを、コンスタントに作りたいと考えている。
続けることを最優先にしているため、コンクールを狙うことも考えていない。高いワインは造らない!というのが会社の方針だ。

「ワイン醸造は僕とアルバイトで行い、売るのは僕1人なんです。1万円のワインと1000円のワイン、同じテンションでは売れないですよ。」

マルサン葡萄酒に併設する小さな試飲所兼直売所で、若尾さんは訪れる人と直に関わり、自らの造ったワインを販売している。
お客さんの反応を日々肌で感じている若尾さんならではの感覚だ。
「ワインは手に取ってもらい、飲んでもらってなんぼ。」だと語る。
テーブルワインとしてのポジションで、マルサン葡萄酒はずっとやっていこうと思っているそうだ。

ワインに合わせる料理も、家庭料理のみを想定している。
マルサン葡萄酒の代表的ワイン『甲州 百』であれば、白菜の漬物や、切り干し大根を醤油で煮たもの、焼き鳥だったらねぎまの塩、などをお客さんにはすすめているそうだ。とりわけ最高だというのが、たくあんなのだとか。

この、『甲州 百』は、自社畑で栽培されたものを中心に、勝沼産甲州ぶどう100%使用した、マルサン葡萄酒を代表するワインだ。
赤ワイン的な要素である、甲州の皮の渋みを出すために、強めにぶどうを絞ることで出るボリューム感とバナナやオレンジの香りが特徴。
甲州種ぶどうを果皮ごとほおばった瞬間をストレートに表現した辛口ワインだ。

「合わせるグラスにしても、ラーメン屋で瓶ビールと一緒に出てくるようなグラスなんかにすると、ワインへのハードルが一気に下がるからおすすめですよ。」

「グラスは立派なものを合わせて、香りのたち方や舌触りを楽しむ、確かにワインはそういう文化ですが、それとは違う価値観もあっていい、いろんな楽しみ方があっていいと思うんです。
ワインという文化の伝統的な楽しみ方をそのまま踏襲して提案する、そういう役割を担うワイナリーは他にあります。
マルサン葡萄酒は『そうじゃない方』、もっと親しみやすさを提案する役割を担っていこうと思っています。」

「ワインに関しても、もっと酸を出せば洗練されたスタイルになるのはわかっているんですが、あえてそこは狙っていない、というところはありますね。」

栽培する品種に関しては、基本、世界中で栽培されているものを作っていく、というのが一つの方向性だ。日本と海外のワイン、日本でも勝沼、長野や山形、北海道など、各地のワイン同士が比べられるが、土地ごとに味が変わるのも「ワインのいいところ」だと若尾さんは語る。

「山梨らしさが自然に出てくれればいいな、と思っています。」

同じ品種のぶどうから生み出される世界各地のワインが、それぞれの特色をのびのびと表現するとしたら、楽しみも無限大になるだろう。
マルサン葡萄酒の肩肘張らない自然体の姿勢は、ワイン全体の可能性をさらに広げるのかもしれない。

『若尾果樹園・マルサン葡萄酒の「未来」』

最後に、若尾さんがこれから取り組みたいと思っていることについて尋ねてみた。

「生食のぶどうをメインで作っている友人の農家が、剪定した枝や葉を砕いて米ぬかを入れて発酵させ、さらに砕いた竹を入れて培養させているんです。
竹の生命力ってすごいんですよ。そういう肥料を取り入れてもいいなと思って、今教えてもらっています。
ぶどうの搾りかすも、発酵させれば窒素が抜けるので肥料として使える。これからは畑で取れたものを畑に戻す方向で、やっていきたいですね。」

「循環型農業とか言葉にしちゃうと形だけになりそうで、そういう言葉はあまり使いたくないんだけれど」と付け加えるあたりが若尾さんらしい。

また、栽培に挑戦してみたいぶどうの種類もあるという。

「さっき言ったことと矛盾してしまうかもしれないけれど、もっと純粋に、飲みたいな、と思うものを作るのもいいかな?と最近思うようにもなりました。」

キャラクターの強い、ゲヴェルツトラミネールは周りに栽培している農家がいないので、やってみたい、と考えているそうだ。

栽培方法は垣根栽培にこだわらず、先代が行っていた棚栽培にもう一度戻ることも考えている。

「日本はぶどうの生育期に雨が多いので、病気になりやすい地面に近い場所でぶどうを実らせる垣根栽培よりも、頭上の風通しが良いところで実らせることができる棚栽培の方が病気のリスクの面では良いのではないかと考えています。
また、日本の土地はとても肥沃なので、枝をグンと大きくする棚栽培にもう一度戻るのもありかなと思っています。」

垣根栽培と棚栽培の比較はまだまだ実験段階なので、マルサン葡萄酒が再び棚栽培を始めることは非常に興味深い試みになるだろう。

また、クラフトビールのブリュワリーとの交流が増え、ビール造りから刺激されて浮かんでいるアイディアもあるようだ。

「ビールって、なんでもありなんですよね。フルーツやスパイスなんかも入れるし。面白いのが、ブレタノマイセスっていう酵母がいて、それにやられるとワインでは絶対だめな匂いを作ってしまうんですが、ビールであればなぜかそれがポジティブにとらえられる香りなんですよ。」

ワインとは対極にある、ビールの親しみやすさとオフフレーバーへの寛容性の大きさなどに興味があるということで、今後ブリュワリーと一緒に何かできたらいいな、と考えている。すでに、東京のブリュワリーにマルサン葡萄酒のぶどうでビールを作ってもらっているそうだ。
ビール醸造に使われていた樽でワインを造る構想もある。

スタンダードを守りつつも、新しいアイディアやインスピレーションも大切にする。
ワイン醸造のかたわら、現在も音楽を続けているミュージシャンでもある若尾さんらしい自然体のワイン造りに、今後も目が離せない。

『まとめ』

あくまでも家族経営にこだわり、スタンダードなものづくりの精神を守り抜くマルサン葡萄酒のワインだが、同時に温故知新の可能性に満ちている。
奇をてらわない、自然体な三代目代表、若尾さんの人柄も、ワインの味に表れているようだ。
親しみやすさと山梨らしさを表現した、若尾果樹園・マルサン葡萄酒のワインを、ぜひ一度味わってもらいたい。

基本情報

名称(有)マルサン葡萄酒
所在地〒409-1316
山梨県甲州市勝沼町勝沼3111−1
アクセス最寄り駅から車で5分
最寄インターから車で5分

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