長野県東御市の八重原地区にある「CYCLO vinyards(シクロヴィンヤード)」は、元自転車競技選手の飯島規之さんが設立したワイナリーだ。2013年からぶどう栽培を開始し、2019年には自社醸造所をオープンした。
シクロヴィンヤードでは化学肥料や殺虫剤、除草剤などは使わず、手作業にこだわった丁寧な栽培管理で高品質なぶどうを栽培している。
飯島さんが手掛けたワインは東御市八重原の土地が持つ味わいをしっかりと表現しており、漫画「マリアージュ~神の雫 最終章~」で取り上げられた実績を持つ。
競輪選手からワイナリー経営へと大きく人生の舵を切った飯島さんに、これまでの歩みやぶどう栽培、ワイン造りについて詳しく伺ったので紹介していこう。
『ワイナリー設立までのストーリー』
25年間にわたって、プロの自転車競技選手として活躍した飯島さん。2012年1月に引退し、かねてより興味があった「ものづくり」の道に進むことを決めた。
2012年4月には長野県農業大学校に入学し、2013年には長野県東御市にある「ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー」オーナーの玉村豊男さんからワイン醸造を学んだ。
数ある「ものづくり」の中でも、なぜ飯島さんがワインを選んだのかについても尋ねてみた。
▶︎ぶどう栽培とワイン造りに魅せられる
ワイン造りの道に進むことを決めた飯島さんは、2012年4月に長野県農業大学校の研修部に入学。長野県内での就農を志す人向けの講座だ。
単身で1年間寮生活をしながら知識を深めた。また、トラクターの免許取得やバックホーなどの重機を操作するための講習も受けるなど、農家として独立するための準備を着実に進めていったのだ。
2013年には家族と共に長野県東御市八重原に本格的に移住。東御市の「ヴィラテストワイナリー」「アルカンヴィーニュ」のオーナーである玉村豊男さんの指導のもと、ぶどう栽培とワイン造りを学んだ。
数あるものづくりの中でワインを選んだ理由はなんだったのか。
「自転車競技の世界でよい成績を残していたので、日本代表として海外に行かせてもらう機会が多くありました。ウェルカムパーティーやフェアウェルパーティーが開催される際には、乾杯は決まってスパークリングワインなのです。そのため、ワインは『幸せを運ぶ飲み物』だというイメージを持っていましたね。そして、自分でワインが造れたら楽しいのではないかという好奇心から、ワイン造りに挑戦しようと思ったのです」。
当初、自分にワイン造りができるかどうかは半信半疑だったという飯島さん。しかし、学ぶうちに、ぶどう栽培とワイン醸造の面白さと奥深さにどっぷりはまっていった。
▶︎目標に向かって突き進むこと
飯島さんが第二の人生をスタートさせたのは、45歳のとき。
「ヴィラテストワイナリーの玉村さんが、『自分がワイン造りをかじり始めたのが、ちょうど君と同じ年だった』とおっしゃっていたのが印象的でした。45歳頃に人生に悩む人は意外と多いのかもしれません」。
自分の人生はこのままでよいのか、本当にやりたいことや新たなことに挑戦すべきではないのかと考え始めるのが、ちょうどその年代くらいなのかもしれない。
「私自身について言えば、体力と気力が十分にあるタイミングでスタートできてよかったと思っています。もう少し遅かったら、体力的にも厳しかったかもしれませんね」。
飯島さんは東京都生まれの埼玉県育ち。長年続けてきたプロスポーツ選手を辞め、馴染みのない長野県に移住したことで、環境はもちろん生活そのものが大きく変化したのではないだろうか。
「環境は変わりましたが、目標に向かってやるべきことを淡々とおこなうという意味では、自転車もワイン造りも同じかもしれません。ブロックをひとつずつ積み上げてピラミッドにするのは、どんな仕事でも同じでしょう」。
自転車競技の選手時代には、世界選手権出場を目指して地区大会から関東ブロック、全日本と勝ち進んでいく必要があった。そのためには何が必要で、どんなプロセスを踏んでいくべきなのかを考え、地道に進んでいくしかない。
ぶどう栽培においては、冬の剪定から始まり、芽かきや誘引を経て収穫したぶどうを目指す味わいのワインにするために仕込んでいくという作業の繰り返し。どんな仕事でも、極めていく過程は共通しているということだ。
▶︎ぶどう栽培をスタート
続いては、どんな品種の栽培からスタートしたのかなど、当時を振り返ってお話いただいた。
「苗を植えても、すぐに収穫ができてワインになるわけではありません。ワインとして仕込めるぶどうが収穫できるようになるまでには、少なくとも3〜4年は必要です。私はとにかく早くぶどうが欲しかったので、研修中にヴィラテストワイナリーの畑にぶどうの苗木を500本ほど植えさせてもらいました。せっかちな性格なんですよ」。
結果が見えないことに対しては人間は不安を感じるし、続けていくことが難しくなる場合もあると考えた飯島さん。早々と栽培をスタートさせた苗は、その後すぐに借り受けた自社畑に改植した。
農業を生業としていくには、継続する力が必要だと考えている飯島さん。
「高度な技術ではなく、単調になりがちな畑での作業を根気よく続けられる力があるかどうかが重要だと思います。また、自分はどうしてもこれがやりたいのだという気持ちがしっかりとないと続かないですね。ぶどう栽培自体は、基礎に忠実に進めれば決して難しいものではありません。手をかけて愛情を注いだだけ、植物はしっかりとお返しをくれますよ」。
『シクロヴィンヤードの自社畑』
飯島さんが自社畑を持つことになったのは、長野県東御市だ。
「土地探しには、『縁』の力が大きく働いていると感じました。私の場合はたまたま、自社畑を持つことになった東御市の八重原地区に縁があったのです」。
自社畑は、農家の高齢化などが原因で耕作放棄となった土地。傾斜がある地形のため水はけがよく、日当たりも抜群なのが特徴だ。飯島さんは畑に生い茂っていた雑木を切り倒し、無数の石を拾って造成した。
シクロヴィンヤードの自社畑の特徴を見ていこう。
▶︎寒暖差が大きい気候
東御市にはもともと13件のワイナリーがあった。ワイナリーが畑を構えるのは、いずれも近くを流れる千曲川の右岸。一方、飯島さんの畑があるのは千曲川の左岸だ。左岸にぶどう畑を造成したのは、シクロヴィンヤードが初めてのこと。
「八重原地区は米の産地です。果樹不毛の土地と言われてきた場所なので、周りの人からは、『そこではよいぶどうは作れない』と言われましたね。確かに、うちの畑がある土地はぶどう栽培においては非常にリスクが大きいのが事実です。しかしその分、よいぶどうが収穫できますよ」。
千曲川左岸にあるシクロヴィンヤードの畑の標高は、650~700m程度。ぶどう畑が広がる右岸エリアよりも200mほど低い。標高がそれほど高くないため凍害に遭いにくい土地のようにも思えるが、意外なことに右岸よりも気温が低く、昼夜の寒暖差も大きいのだという。そのため、霜の被害などを受けやすい。
一見、ぶどう栽培に不利な条件が重なっているようにも思えるが、実際のところはどうなのだろうか。
日中に太陽光を使って光合成する植物は、夜になると酸素呼吸に切り替わる。夜温が下がらなければぶどうにとって過ごしにくい環境であるため、無駄にエネルギーを消費してしまうのだとか。だが、夜温がしっかりと下がれば、光合成によって蓄えたエネルギーを、果実を育てるために使うことができる。
つまり、気候条件が難しいことで栽培管理は大変ではあるものの、植物にとっては好ましい環境であり、育つ果実は優れた品質となる。
「2022年は早霜、2023年は遅霜の被害を受けました。確かにリスクは高いのですが、リスクがない場所からはよいぶどうは収穫できません。この土地のテロワールをしっかりと反映したぶどうを作ることを目指しています」。
▶︎土壌の特徴
千曲川の右岸と左岸では、土壌にも違いがある。右岸側は黒ボク土と呼ばれる火山灰で、粒子が大きく水はけがよい。一方、シクロヴィンヤードの自社畑がある左岸は粘土質土壌だ。土の粒子が微細で、保水力や保肥力が強い。
八重原地区の平地は土壌の特徴を生かして、昔から米栽培が盛んだった。だが傾斜地は水路や灌漑施設がなかったため不毛の地だったのだ。ぶどうと同じく乾燥した場所を好む桑などが栽培された時代もあるが、不耕起のままの土地も多かったそうだ。
ワイン好きなら、右岸と砂岩といえば思い出すのは、フランスワインの銘醸地のひとつであるボルドーだろう。ボルドーでは、ジロンド川の右岸が粒子の細かい粘土質で、左岸が粒子の荒い砂礫質。千曲川流域とは、ちょうど位置関係が反対なのが興味深い。
ボルドーの右岸、粘土質土壌が広がるエリアはメルローの栽培が向いていると言われる土地。もちろん、似た特徴を持つ土壌を有するシクロヴィンヤードでもメルローを栽培している。
『シクロヴィンヤードのぶどう栽培』
シクロヴィンヤードで育てている品種は次のとおり。
赤ワイン用品種
- メルロー
- ピノ・ノワール
- アルモノワール
白ワイン用品種
- シャルドネ
- ソーヴィニヨン・ブラン
もともとぶどう栽培の実績がない土地に自社畑を構えたこともあり、世界中で広く栽培されているメジャーな品種を中心に選んだそうだ。
シクロヴィンヤードのぶどう栽培のこだわりを紹介しよう。
▶︎できるだけ自然に育てる
ぶどう栽培において飯島さんがこだわっているのは、できるだけ自然に育てること。
「造ったワインを私自身も飲みたいので、自分が飲んで安心だというものを造ることを心がけています」。
ぶどうは栽培の基本的なルールさえ守れば、ぐんぐん育つ生命力を持っている。ぶどうが持つ力をしっかりと発揮できるようサポートするのが栽培家の役割なのだ。
凍害が発生することもあるシクロヴィンヤードの自社畑だが、対策を取ることは難しいという。
2023年5月に発生した霜の場合、徐々に下がった気温は午前0時過ぎに氷点下に。その後、マイナス3.6度を記録した。
大型扇風機のようなファンを設置して空気をかき回したり、たくさんの火鉢を設置して気温の低下を防ぐ方法もあるが、実現はなかなか難しい。
「気温が低くなることがある土地なので、本当に冷え込む日には神頼みするしかないですね。気象データは細かくチェックしていますが、自然相手に人間ができることはほどんどないのが現状なのです」。
自然は思い通りにはならないが、受け入れるしかない。そういう意味では、ぶどう栽培はスポーツにも通じる部分があると話してくれた飯島さん。競技スポーツにも、人間がどうすることもできない「運」の領域が存在する点だという。
「ただし、一定のルールの中でたったひとりの勝者を生むのが競技スポーツだとしたら、ワインはより多様性があるものです。消費者が個々にさまざまな物差しやルールを持っているため、たくさんのワイナリー同士が共存・共栄できます。そこはワインの素晴らしい点ですね」。
『シクロヴィンヤードのワイン醸造』
続いて、シクロヴィンヤードのワイン造りについて紹介していこう。
ぶどうが持つポテンシャルが最大限発揮できるようにおこなわれる醸造では、すべて培養酵母を使用してきれいな造りをするのが飯島さんのこだわりだ。
▶︎テロワールを表現する
「ソムリエがテイスティングをして、そのワインの産地と畑を見事当てることができるのは、テロワールがしっかりと表現できているからです。湿度が高い日本の環境で自然酵母を使用すると、雑多な菌が働くことでテロワールがマスキングされてしまいます。ぶどう以外の要素が出てくると、ぶどうそのもののよさが消されてしまうでしょう。培養酵母を使用するのは、東御市八重原のよさをストレートに表現するための選択なのです」。
ただし、酵母選びの基準は特に設けていない。なぜなら、ワインはとても雑多なお酒なので、どんな種類の培養酵母が活動しても、多様な要素が働き、酵母の影響は比較的小さなものになると考えているからだ。
例えば日本酒の醸造では、米を蒸すことでいったん菌や酵素を死活させる。だが、ワインの場合には原料のぶどうを加熱処理しないため、畑の野生酵母などさまざまな要素が存在している状態で仕込むことになる。
綺麗な発酵を進めるために培養酵母を使用するが、ワイン造りとは加えた酵母だけではなく、たくさんの成分がからみ合って複雑なハーモニーを生み出すもの。そして、ワインごとの個性を決めるものこそがテロワールなのだ。
「同じ酵母を使って畑違いのぶどうで仕込むと、まったく違う風味を持つワインが出来上がります。犬くらい嗅覚が優れていればわかるのかもしれませんが、人間の嗅覚では培養酵母ごとの仕上がりの違いはわからないものですよ。しかし、テロワールの違いははっきりと仕上がりにあらわれるのです」。
▶︎飲みやすく、どんな料理にも寄り添うワイン
飯島さんが理想とするワインは、食事のおいしさを引き立てる脇役のような存在だ。飯島さん自身が、そういう飲み方をしたい気持ちがあるのだという。
特別なシーンで大切な人と飲むワインとして造られているシクロヴィンヤードのワインにはオフ・フレーバーがなく、どんな料理にも寄り添いやすい味わい。ワイン単体で強烈なインパクトを持っているわけではないが、その分、幅広い食事に合わせられる懐の深さがある。
「合わせる味わいや食材が変わっても、柳のように料理に寄り添うワインですね。個性の強いワインは、途中で飲み疲れしてしまうこともあります。その点、シクロヴィンヤードのワインは気が付いたら飲み終わっていて、もう1杯ほしくなるような味わいを目指しています」。
▶︎ワイン造りを始めた年の干支をエチケットに
ワインのエチケットに描かれているのは、緻密な筆致の点描画。クラシックな自転車と、タツノオトシゴが印象的なデザインだ。
点描画の作者は、東京にある自転車のフレームを制作する工房「アマンダサイクル」の奥さんなのだとか。この工房は選手時代に飯島さんが愛用していた自転車フレームの製造元で、今でも親交がある間柄だ。
「工房の奥さんが2012年に、干支である龍にちなんで描いた絵に惚れ込んだので使わせてもらいました。2012年は私が埼玉から長野に移住して、ワイン造りの道に入った記念の年なのです」。
点描で描かれたタツノオトシゴはワイン造りを始めたばかりの飯島さんの心を打ち、今も変わらずシクロヴィンヤードのワインを彩っている。
『まとめ』
シクロヴィンヤードのいちばんの強みは、東御市八重原の台地で育まれた良質なぶどうそのもの。すべての工程に対する丁寧な取り組みを積み重ねてぶどうを栽培している。
収穫したぶどうは、そのままの味わいを生かしたワインになる。年ごとに異なるぶどうの味がそのままワインの味わいとして表現されているので、ヴィンテージごとの違いが楽しめるのがシクロヴィンヤードのワインの特徴だ。
「どのようなスタイルのワインを目指しているのかと聞かれることもありますが、目指すワインというのは特にありません。根付かせてもらった八重原の地で育ったぶどうで、ただワインを造るだけなのです」。
手をかけられるだけかけた栽培をおこない、できたものをそのまま受け入れるのがシクロヴィンヤード流。
柔軟な中にもしっかりとぶれない芯をもった醸造家の思想を写し、あるがままの自然の中で育ったぶどうで造られるワインは私たちの特別なシーンにそっと寄り添い、大きな満足を与えてくれるだろう。
シクロヴィンヤードのワインを、好みに合わせて自由に楽しんでほしいと話してくれた飯島さん。ぜひワイナリーに足を運び、ぶどうが育った土地を感じながらお気に入りの1本を選んでみてはいかがだろうか。
基本情報
名称 | シクロヴィンヤード |
所在地 | 〒389‐0406 長野県東御市八重原1018 |
アクセス | https://maps.app.goo.gl/VdfTMkf5gdLo9mtB7 |
HP | https://www.cyclovineyards.com/ |