“シニアソムリエ”が醸す 地元に愛される山ぶどうワイン 『涼海の丘ワイナリー』

岩手の名産といえば、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
三陸の海で採れた海の幸、黒毛和牛のブランドとして名高い前沢牛、地名が料理名にもなっている盛岡冷麺、そして、東北を訪れたら必ず飲みたい日本酒の数々。

実は、岩手にはそんな名産品に肩を並べる、“山ぶどう”から造られた絶品ワインがある。

岩手県野田村にあるワイナリー「涼海の丘ワイナリー」では、その名の通り風光明媚な丘の上で、地元の名産“山ぶどう”を使ったワインが醸されている。

『ボランティアとの交流と野田村の土地が生んだワイナリー』

涼海の丘ワイナリーの醸造長である坂下 誠さんは、なんと元々はソムリエの資格を持つホテルマンだったという。

話しは少し遡るが、坂下さんは野田村からほど近い岩手県久慈市にあるホテルで、23年間サービスマンとしてお客様と接してきた。

そんな坂下さんのキャリアを見込んだ野田村の村長が、2011年の野田村国民宿舎民営化に際し、「坂下さんのサービススキルやワインの知識を、民営化する新しいホテルで活かしてほしい」と熱烈オファーしたことをきっかけに、野田村に帰ってくることになる。

2011年4月の開業に向け、取り扱いワインの選定やレストランのメニュー作成など忙しく準備を進めていた坂下さんだったが、オープン目前の3月11日、あの東日本大震災が野田村を襲った。

村の3分の1にあたる500世帯もの家屋が津波で流され、開業予定だった国民宿舎は避難所として使われることになったため、開業は無期限延期となった。

野田村にもたくさんの震災ボランティアが訪れ、復興の手助けをしてくれた。
そんな中、ボランティアの若者たちが野田村の山ぶどうの魅力に気づいたのが、この地でワイン造りを始める最初のきっかけだった。

野田村には昔から当たり前にあった“山ぶどう”の魅力を、他県から来たボランティアの若者たちが評価してくれたことで、村長は山ぶどうを使って醸すワイナリーを立ち上げることを決意する。

そこで、村長が醸造長として任命したのがソムリエの坂下さんだったのだ。

『醸造長はシニアソムリエ』 

ソムリエとして豊富なワインの知識がある坂下さんだが、ワインを造るとなると話は別である。
醸造に必要な知識や技術は、もちろんソムリエ教本では学べない。

醸造長として任命されたからには、造る側の知識を身に付けなければならないと一念発起した坂下さんは、2016年、西日本で唯一山ぶどうからワインを造っている、岡山県の“ひるぜんワイン(https://hiruzenwine.com/)”で修業をさせてもらうことにした。

4か月間ひるぜんワインで醸造のいろはを学び、野田村に戻ってからはワイナリー開業に向けて試行錯誤を続ける日々だった。

遡ること5年、坂下さんは2011年のシニアソムリエ試験合格を目指しホテルでの多忙業務に追われながら勉強に明け暮れていた。
ところが、3月の震災により環境が一変。
電気が途絶えた中、ろうそくの灯りで勉強しなんとか一次試験には合格するも、二次試験のテイスティング対策は何も手を付けられない状態だった。

いつもなら当たり前に手に入るワインが、流通が崩壊していた当時の野田村では手に入らなかったのだ。

ホテル時代は仕事の合間にブラインドテイスティングの練習をすることもあったが、震災直後の国民宿舎で試験対策用のワインを手に入れることは到底無理だった。

悔しい思いをした2011年の結果を胸に、2012年、坂下さんは再度シニアソムリエ試験に挑み、見事合格した

そんな坂下さんが、ワインを提供する側から今度は醸造する側へと転向し、晴れて醸造長に就任したのが涼海の丘ワイナリーなのだ。

『涼海の丘のルーツとは』

新しくワイナリーを立ち上げるとなると、醸造に必要な場所も道具もすべて一から揃えなくてはならない。
村興しの一環とはいえ、まだまだ震災復興に資金が必要な野田村での開業準備は、当然行政からの援助は期待できなかった。

そんな中、アイディアを出し力になってくれたのは、ボランティアで村に来てくれた多くの方々だった。

ボランティアから「クラウドファンディング」というものがあることを聞いた坂下さんはすぐに情報収集し、ワイナリー開業に必要な資金を全てクラウドファンディングで集めることにした。

坂下さんのこの柔軟性と行動力も、涼海の丘ワイナリーがここまで発展してきた要因の一つだろう。

また、開業資金だけではなくワイナリー名も一般公募で募った。
クラウドファンディングで資金援助をしてくれたサポート会員のほか、広く一般にも告知したところ、同じ岩手県に住む2人の応募者から素晴らしいワイナリー名候補が届いた。

  • 『涼海ワイナリー』
  • 『涼風の丘ワイナリー』

野田村は夏でも霧状の「ヤマセ」という風が流れてくる涼しい土地。
そして、丘の上に立つワイナリーの目の前には海が広がっている。

字を見ただけで美しい風景が思い浮かぶような名前候補は、まさに野田村に新しくできるワイナリーにぴったりだった。

そこで村長と坂下さんとで相談した結果、この2つの候補名を組み合わせた『涼海の丘ワイナリー』という名前を付けたのだった。

「涼しい風が吹き、広い海が見えるこの丘で、たくさんの人が集まってワインを楽しんでほしい」という願いを込めて生まれた涼海の丘ワイナリーは、当初の願い通り、今では日本中から美しい景色とワインを楽しみに観光客が訪れるワイナリーになった。

また、ワイナリー名の公募に参加した多くの地元の人たちにも愛される憩いの場となっている。

『山ぶどうの特徴は?』

山ぶどうと聞くと、野山に自生している酸っぱいぶどうをイメージされる方も多いのではないだろうか。

たしかに、野生でどんどん勝手に育ってしまった山ぶどうは、酸味が強く荒っぽい味になるためとてもワインにできるような品種ではない。

では、大事に手をかけて育てれば甘くなるのかというと、実は手をかけすぎても弱ってしまう厄介な品種なのだ。
酸味と甘みのバランスが良いワイン向きのぶどうに仕上げるためには、小まめに葉を取り果実の成長をコントロールしなければならないが、葉を取りすぎると今度は果実に直接当たる紫外線が強すぎてぶどうが傷んでしまう。

ワイナリー事業が立ち上がるまでの野田村は畜産と養鶏が村の産業のメインで、山ぶどう栽培はいわば片手間でできる農作業だった。
ところが、デリケートな山ぶどう栽培の難しさに直面した農家の人々が、ワインの原料になるだけのクオリティの山ぶどうを育てるため、本気で山ぶどう栽培に取り組んだのだ。

暑さに弱い山ぶどうは、夏場も小まめな温度管理と日照量管理が必要だ。
また、果実の糖度を上げるため、一般的な9月末の収穫時期より
もさらに2週間収穫時期を遅らせている。
この2週間の間に、食べごろの果実が動物に狙われないように、そして熟して皮が柔らかくなった果実が雨風で傷まないように、収穫の日まで毎日気を張って守らなければならないというのだから、大変な重労働である。

さらに、元々野生の品種だった山ぶどうにとって、市販の肥料では栄養価が高すぎて根を傷めてしまうため、適した肥料探しにも骨が折れた。
試行錯誤の末たどり着いたのは、同じ野田村で育てているブランド豚“南部福来豚(なんぶふくぶた)”の厩舎で使用されている藁だった。

ちなみに、こうして高品質のぶどうを作るための農法を確立させた今の野田村では、厩舎の藁を肥料に山ぶどうを育て、ワインに使った山ぶどうの搾りかすを豚の餌に混ぜるという、野田村だからこそできる農業と畜産の循環が生まれている。

それだけの手間と労力をかけて育てた山ぶどうの中でも、ワインに使用しているのは糖度18度以上まで熟したトップクラスの品質の果実のみという徹底ぶりだ。

通常山ぶどうは手をかけて育てても糖度はせいぜい15~16度と、キウイやサクランボと同等の甘さにしかならない。
そんな中で、マンゴーよりも甘い18度以上の糖度まで上げるとは、栽培に携わる方々の努力と工夫の賜物だろう。

野田村に限ったことではないが、現在農家では高齢化が進んでいる。
涼海の丘ワイナリーでも、跡継ぎのいない畑を自社畑として引き受けたり、本格的に山ぶどう栽培を始める若者を主な対象として、次世代の育成にも力を入れている。
中でも、野田村が好きで定住した震災ボランティアの若者たちが山ぶどうに惚れ込み、今となっては上質な山ぶどうを絶やさないよう中心となって栽培に打ち込んでいる。

『山ぶどうからワインを造る難しさ』

実を付けてから収穫するまで気の抜けない、生産者泣かせの品種“山ぶどう”だが、実は本当に大変なのは収穫してからワインができるまでだ。

一般的なぶどう品種よりも実が小さく、皮が厚くて種が多い山ぶどうは、搾汁率が非常に悪いという問題がある。
ぶどう一房から絞れる果汁は、シャルドネやカベルネソーヴィニヨンといった国際品種の半分~3分の2程度だろう。

さらに、皮や種といったワインの“えぐみ”になってしまう要素が多いため、搾汁の際に負荷をかけすぎないよう時間をかけてゆっくり果汁を絞る技術が必要なのだ。

果汁を絞った後はタンクでの発酵過程に移るわけだが、野田村は雪深い東北の村。
外気はマイナス5度や10度が当たり前のエリアである。

クラウドファンディングで立ち上げた小さなワイナリーに最新鋭の温度管理システムなどあるはずもなく、温度が下がりすぎる冬にはスタッフが泊まり込みでストーブを焚きながらタンク全体を温めている。

そして暑さが厳しい夏には、スタッフが手作業でタンクに水をかけて温度を調節し、常にぶどうが発酵するためにベストな温度を保っているのだ。

発酵過程で必要な、タンクの中を手作業でかき混ぜる“ピジャージュ”もスタッフが交代で行っている。

ワイン18,000本分のタンクの中身をかき混ぜる作業は発酵過程の間中続き、発酵が終わるころには、細身の男性でもスーツが入らなくなってしまうほど筋肉が付くというから、ワイン造りいかに体力勝負か想像に難くないだろう。

最近では、“身体作りのチャンス”とピジャージュを行う時期にはプロテインを飲み、率先して攪拌(かくはん)作業に回っているスタッフもいるほどだ。

無事発酵が進みワインが出来上がった後の、瓶詰やコルクの打栓ももちろんすべて手作業で行われている。

ここでひとつ、ワインに詳しい方なら「山ぶどう由来の酸度をどうやって下げているのか」が気になる点ではないだろうか。

酸度の高いぶどうから造られたワインや、寒冷地でぶどうの糖度が上がらず酸っぱく感じてしまうワインなどは、通常薬剤を入れて酸度を下げるという過程が入る。

しかし、自然派にこだわっている涼海の丘ワイナリーでは、野田村の土地の特性を生かした驚きの方法で酸度を下げている。

なんと、氷点下の気温を利用して室内をマイナス5度に保ち、凍って酒石となった酸を取り除くことでワインの酸度を落としているのだ。
冷凍庫のように気温が下がるこの土地だからこそできることである。

そして、酸を落としたワインはワイナリー横の旧鉱山坑道の中に作られた天然の貯蔵庫の中で、熟成の時を刻むことになる。

まさに、野田村の四季折々の特性と、ワインの醸造工程のどちらも知り尽くした人にしか造ることのできない、自然の力と人の知恵によって造られたワインが涼海の丘ワイナリーのワインなのである。

なぜ、これだけ大変な作業を経なければワインにすることができない“山ぶどう”という品種にこだわるのか。
それはやはり、野田村の土着品種として古くから愛されてきたぶどうだからに他ならないだろう。

『涼海の丘のワイン』

通常のワイン用品種のぶどうよりも何倍も手がかかる山ぶどうから造られ、旧鉱山坑道の天然セラーで熟成された涼海の丘ワイナリーのワインは、いったいどんな味わいなのだろうか。

ファーストヴィンテージである2016年のワインは、すべて売り切れるほどの人気だったそうだ。

そんな涼海の丘ワイナリーの商品ラインナップを順番にご紹介していこう。

【マリンルージュシリーズ】

リンゴ酸を乳酸に変える“マロラクティック発酵”をさせていることで、酸っぱいと言われる山ぶどうの酸をやわらかく滑らかな酸に仕上げ、料理にも合わせやすいエレガントな味わいに仕上げているのがマリンルージュシリーズだ。

エチケットの「紫雫」は、元々山ぶどうジュースを作る際に一般公募により決まった「雫」という商品名に、ワインの深い色味を表現した「紫」を合わせて名付けられた。

①紫雫 マリンルージュ〈ロゼ〉

鮮やかな赤色が印象的なロゼワインは、シャンパン酵母と白ワインの酵母から造られた酸味と果実味のバランスが良い一本。
濃い赤色は皮の厚い山ぶどうならではの色合いで、見た目を裏切らないフルーティな味わいで愛されている。
野田村自慢の魚介から軽めの味わいのお肉、柑橘系のフルーツまで、幅広く料理に合わせられるレストランで一番人気のワインである。

②紫雫 マリンルージュ〈赤〉

スタンダードな赤ワインは、野田村のお土産として観光客から最も人気が高い。
山ぶどう本来の酸味をしっかりと残していることで、深い果実味の中にも飲み疲れしないキレを感じられる。
南部福来豚や、岩手名物の短角牛をこだわりの野田の塩でさっぱりといただくなら、こちらの赤ワインを合わせない手はないだろう。

③紫雫 マリンルージュ〈樽赤〉

フレンチオークとアメリカンオークの樽詰めし、鉱山跡地の天然セラーで8か月間熟成させたのがマリンルージュ〈樽赤〉だ。
プロからも評価が高いこちらの1本は、ローストした樽のテイストがワインにチョコレートのような風味を与え、ワインの果実味と合わさってストロベリーチョコレートのようなニュアンスを感じられる。

8か月熟成させていることで酸味がワインに馴染み、長い余韻とコクも楽しめる。
素材の味が強い食材や、香草焼きのような香りの強い料理にも負けることなく料理に寄り添ってくれるワインだ。

【涼海の丘ブランド】

お土産や野田村の山ぶどうワインとして広く販売され、インターネットでも購入できるマリンルージュシリーズとは別に、野田村を訪れた人にしか購入できない、ワイナリー内限定販売のワインが涼海の丘ブランドだ。

野田村の村長が、「山ぶどうらしさを前面に出したワインを飲みたい」とリクエストしたことがきっかけで生まれた商品で、マロラクティック発酵を敢えてしていないことで、山ぶどう特有のレモンのようなシャープなリンゴ酸と、森のような青い草木の香りを堪能できる。

マリンルージュ〈樽赤〉にも使われる品質のぶどうを使って醸されているが、醸造工程でここまで味わいが変わるのかとびっくりされる方も多い。

料理に合わせるというよりはワイン単体でゆっくり楽しみたい味わいで、こちらはツアーコンダクターや地元の方といった、ワイナリーを実際に訪れる人たちからのリピート率が一番多い商品だ。
発売当初は「ワインとしては酸っぱすぎる」と思っていたそうだが、リピーターからの反響に坂下さん自身が一番驚いているそうである。

今発売されている4種類のワインの他に、今後は山ぶどうとソーヴィニョンブランを掛け合わせた「山ブラン」から醸す白ワインや、シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で造るスパークリング、ぎりぎりまで糖度を上げて造るデザートワインなど、山ぶどうの可能性を広げるべく新商品を開発中だ。

『これからの夢』

涼海の丘ワイナリーの今後について、坂下さんはこんな話をしてくれた。

「涼海の丘ワイナリーのワインをきっかけに“わざわざ野田村に来てくれる人”を増やしたい。」
「漁師さんや商店街の方みんなが助かるような、村おこしのきっかけにしたい。」

野田村にはワインだけではなく、地元の漁師さんが毎朝海に出て採ってくる新鮮な魚介類や、昔ながらの製法で作られたこだわりの塩、ミネラルたっぷりのわかめを食べて育ったブランド豚の南部福来豚といった素晴らしい食材が豊富にある。

そしてその食材を使ってお店を経営している飲食店や、お土産として販売しているたくさんの店がある。

自社のワインをただ売るだけではなく、ワイナリー立ち上げ当初力を貸してくれた野田村の人たちに、どうしたら貢献できるのか、ワインを盛り上げることで地域全体を活性化できないかと日々考えている坂下さんからは、地元野田村への想いが溢れていた。

ホテルでの長年の接客業を経て、地域の方に愛されるワイナリーを経営する中で、“人との繋がり”を何よりも大切してきた坂下さんが醸す涼海の丘ワイン。

現在建築中の三陸横断道路が開通した暁には、涼しい風が吹くこの風光明媚なワイナリーで、ワインを飲みながら日頃の疲れを癒してはいかがだろうか。

基本情報

名称涼海の丘ワイナリー
所在地〒028-8202 
岩手県九戸郡野田村大字玉川5-104-117
アクセス車 九戸ICから車で約70分
電車 野田玉川駅から徒歩10分
*タクシーで5分
https://www.suzuminookawinery.com/blank-5
HPhttps://www.suzuminookawinery.com/

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