『機山洋酒工業 Kizan Winery』歴史ある家業を守る、甲州市塩山の造り手

山梨県甲州市塩山にある「機山洋酒工業 Kizan Winery」。ワイン醸造の文化が根付く山梨県で、昭和初期からワイン造りをおこなっている歴史あるワイナリーだ。

代表の土屋幸三さんは、家業や地域の歴史を大切にしながらワイン造りを営んでいる。

機山洋酒工業はどのようにして興り、どんなワイン造っているのか。また、ワイナリーとして、今後どのような取り組みをおこなっていくのか。

機山洋酒工業の過去・現在・未来を共に見ていこう。

『機山洋酒工業の歩み』

機山洋酒工業、現代表の土屋幸三さんは三代目。ワイン造りの始まりは、祖父の代まで遡る。

土屋さんが父や祖父から伝え聞いたという、機山洋酒工業の歴史を紹介していきたい。

▶︎機山洋酒工業、創業の歴史

昭和初期、山梨県域では養蚕業が盛んだった。地主だった土屋さんの祖父は、石炭商として生計を立てていたそうだ。

「当時、石炭は非常に需要がありました。養蚕が主産業だったため、蚕の繭を煮るときに大量の石炭を必要としていたからです。また、鉄道路線が開通していたことも、石炭の需要を高めた理由のひとつでした」。

だがその後、時代は大きな転換期を迎える。1929年に世界恐慌が起こった影響で、絹の価格が大暴落したのだ。絹は外貨獲得のための輸出商品だったため、相場の影響を大きく受けた。

養蚕業が衰退することを敏感に察知し、石炭売りに見切りをつけた土屋さんの祖父は、当時注目が集まっていた「ワイン産業」に乗り出した。甲府盆地一帯はもともと果樹栽培に適した地であり、品質の高いぶどうを育てることができた。そのため、ワイン醸造所が次々と立ち上がりつつあったのだ。

「ワインがにわかに盛り上がっていたこともあって、当時の山梨には3,000件ものぶどう酒醸造がありました。ただし、醸造所といっても、農家の庭先で造るような小さな設備のものも多かったようですね」。

こうして初代の代表がワイン造りを始めたのが、1930年頃のことだ。この年は土屋家にとっても節目の年だった。石炭商をたたんでワイン業に転換する時期とときを同じくして、土屋さんの父が誕生したのだ。

「機山洋酒工業の創業年は、実ははっきりとはしていないのです。そのため、ワイン造りを始めたことと父が生まれたことなどが重なっていた1930年を創業の年としています。また、当初は祖父の個人名義のワイナリーでしたが、戦後の1950年頃に法人化した際、現在の社名『機山洋酒工業』となりました」。

▶︎社名の由来と込められた思い

昭和初期からワイン造りを営んでいる機山洋酒工業。社名にも、当時の時代背景や歴史が映り込んでいる。社名に込められた歴史と思いに注目してみよう。

まずは「機山」という名称の由来から。機山とは、甲斐(現在の山梨県)を治めた武将・武田信玄が出家したときの法名だ。

「機山洋酒工業の近所には、恵林寺という武田信玄ゆかりの寺があります。『機山』は地元で愛されている名称で、施設名や団体名に使われています。うちも武田信玄ゆかりの地ということで、『機山』の名前を使っています」。

社名の「洋酒工業」も、長い歴史を感じる名称だ。「洋酒」と名がついているのは、以前はワイン以外のアルコール飲料も取り扱っていたから。そして「工業」の名には、戦後の時代背景が反映されている。

「ワイン造りは農業です。実際にうちも、初代のころからぶどう作りを大切にしてきました。ではなぜ『農業』ではなく『工業』なのか?それは、戦後の荒廃した日本を復興する意思を表しているからです。戦後に立ち上がった企業の社名は、『工業』と名のつくものが多いのですよ」。


戦後の時代背景を映した歴史ある名前なので、社名は設立当時の時代背景を映す鏡だと思ってもらえれば嬉しいと話してくれた。

先祖から受け継いできたものを守り、魂のこもったワインを造る機山洋酒工業。家族への愛や尊敬の思いが、機山洋酒工業の今を形作っているのだ。

『機山洋酒工業のぶどう栽培 基本に忠実に、成熟したぶどうを育てる』

続いては、機山洋酒工業のぶどう栽培について見ていこう。栽培品種や畑作りにおけるこだわりなど、機山洋酒工業のぶどう栽培への向き合い方にスポットを当てたい。

▶︎2か所の自社畑と、栽培しているぶどう品種

機山洋酒工業では、2か所の自社畑でぶどうを栽培している。それぞれの畑と、そこで栽培されているぶどう品種を紹介する。

ひとつ目は、広さ1ha弱の畑だ。甲州、シャルドネ、メルロー、ブラッククイーンを棚仕立てで栽培している。

栽培面積の半分以上を甲州が占めており、ついで多いのがシャルドネとメルロー、ブラッククイーンだ。プティ・ヴェルドは、ごく少量を栽培している。

ふたつ目の畑は、土屋さんが1996年に開墾。およそ13aの畑がワイナリーの裏手に広がる。こちらの畑のぶどうは垣根仕立てだ。

「新しい方の畑には、かつては柿が植えられていました。この地域で作られている干し柿は『松里のコロガキ』といって昔から有名なのです。しかしうちはワイナリーですし、新しく垣根栽培のレインカットを導入したいと思ってぶどう畑に変えました」。

栽培品種はシャルドネとメルロー、そして少量のプティ・ヴェルドだ。

▶︎品種選びの理由とは 「土地に合う」に込められた意味

自社畑で育てている品種を選んだ理由について、土屋さんに尋ねてみた。

「とにかく、その時々に手に入る品種を植えて試してきました。長年の経験のなかで、安定した収量を確保できる品種だけが現在も残っています」。

ひとつ目の畑では、土屋さんの父の代にさまざまな品種を試験栽培。セミヨン、ソーヴィニヨン・ブラン、甲斐ブラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランなど、現在は栽培を中止した品種を手がけたこともあった。そのほかにも、セイベルなどの交配品種や、「日本のワインぶどうの父」と呼ばれる川上善兵衛氏が生み出したレッド・ミルレンニュームなども栽培していたという。

長い期間をかけて、「土地に合う品種かどうか」と「自分たちのワイン造りに合う品種かどうか」を確かめる作業を続けた。ちなみに土屋さんの父は、「この地には甲州とブラッククイーンが合う」と結論づけたという。

「土地に合う品種」という概念について、土屋さんは次のように話してくれた。

「ひとことに『土地に合う』といっても、そこには色々な意味が含まれていると思っています。収量は少なくても品質の高いものができるのか、安定した収量でバランスよく育てられるのか、豊作になるのかなどです。私自身は、『収穫が安定している品種』であることを重視しています。安定をとる理由は、山梨の畑は面積が狭いからです。大規模な畑を作れる北海道や長野とは違って、限られた土地でぶどうを育てなければならないので、単位面積あたりの収穫量が確保できることが欠かせません。家族や従業員など、背負っているものを守りつつ、お客様に喜んでいただけるワインを造るには、『安定して収穫できる品種』であることが第一条件なのです」。

土屋さんが常に考えているのは、質と量をかけあわせたものを最大値にすることだ。先祖代々受け継いできた土地や建物、技術と経験というリソースを最大限活用する。そして家族が生活できるだけのワインを造り、家を守ることを使命としている。もちろん、家業を継いでいくには、顧客に喜ばれる品質も必須だ。

「何を思って、何を目指してワイン造りをしているのかという『ワイン造りの事情』は、すべてのワイナリーでそれぞれ異なるでしょう。機山洋酒工業はこれまで、限られたリソースの中で質を高め続けることで成長を続けてきました」。

機山洋酒工業で育てるぶどうは、家業を守るために長年にわたって栽培された選抜品種だ。信念が反映されたぶどうから造られるワインは、土地や品種の個性を含んだ独自性があるフレーバーを放つ。

▶︎栽培のこだわり 健全かつ成熟したぶどうを作る

土屋さんはぶどう栽培の際、「健全かつ成熟したぶどうを作ること」を何よりも大切にしている。健全で糖度が十分にあるぶどうを育てることはぶどう栽培の基本であり、理想的なゴールでもある。

「健全で成熟したぶどうを育てるのは、当たり前のようでもっとも大切なことです。実際、多くのワイナリーが、ぶどうを十分に成熟させることを目標に栽培していることでしょう。ただし、『成熟』とひと言で言っても、どの状態を『熟した』と見なすかはワイナリーによって違います。私の場合は、ぶどうの糖度が最大値になることを『熟す』と考えています」。

糖度を最大まで引き上げることにこだわる理由は、糖度が完全に上がったタイミングで、果実の持つフレーバーが豊かに香るからだ。完全な成熟を迎えることで、品種固有の香りと味わいが充実する。品種個性の表現は、ワインの魅力を引き出す上で必須となる条件だ。

「糖度以外には『酸』も重要視されますが、酸は原則として人為的にコントロールできるものではないと考えています。気温が高いと酸が切れていくため、夏が暑いと自然と酸は落ちていくのです。そのため、酸に関しては『見守る』という方針をとっています」。

自分たちのできることにフォーカスし、ぶどうの個性をしっかりと引き出すのが機山洋酒工業のぶどう栽培だ。

『機山洋酒工業のワイン醸造 シンプルかつ、こだわりのあるワインを』

続いては、機山洋酒工業がどのような信念やこだわりを持ってワイン造りをしているのかについて見ていこう。

▶︎毎日のリズムを大切にワインを造る 醸造のこだわり

「できるだけシンプルな醸造を心がけています」と、土屋さん。家族経営の機山洋酒工業では、少ない人数でいかに安定したクオリティのワインを造れるかを意識しながらワイン造りをおこなっている。

「あれもこれもと、こねくりまわすようなことはしたくないのです。必要な工程は丁寧におこない、手を入れるのは最小限にできるよう取り組んでいます。生活のリズムを大切にして仕事に取り組みながら、日常に馴染むワインを造りたいのです」。

安定したワイン造りは安定した生活から。土屋さんは日常のリズムやルーティンを大切にしている。無理をしすぎて次の日には動けないし、よいものは造れないと考えているからだ。

「毎日気持ちよく、リズムよく仕事ができるように、段取りを立てて仕事をすることを心がけています。もちろん、毎年気候も違うし、まったく同じとはいきません。いつも通りにできないことも当然あります。しかし、なるべくペースを一定に保つことでうまくいくことがあるのです」。

機山洋酒工業のワインは、「生活」を大切にする造り手が心を込めて造る、「人の生活に寄り添う」ワインだ。

▶︎ワイン銘柄の紹介 「キザンスパークリング トラディショナルブリュット」

ここで、発売中のワイン銘柄を紹介したい。甲州100%で造った瓶内二次発酵のスパークリングワイン、「キザンスパークリング トラディショナルブリュット」。辛口の味わいで、すっきりと飲める風味が特徴だ。このワインの楽しみ方について、土屋さんは次のように話す。

「ちょっとしたお祝いなどに飲んでいただけるとよいのではないでしょうか。誕生日などのハレの日に開けてくださっている人の投稿をSNSで見かけますよ」。

「キザンスパークリング トラディショナルブリュット」は、大切な人たちとの楽しい食卓で開栓したい、みずみずしく爽やかな味わいのワインだ。おすすめのペアリングを尋ねると、鍋料理を提案いただいた。

「日本人は、世界的に見ても特にさまざまな食材を楽しむ民族です。甲州は幅広い食材に合うので、たくさんの食材が一度に楽しめる料理と合わせると楽しいですよ。正月ならおせち料理、行楽の際には幕の内弁当と合わせてもよいでしょう。また、地元・甲州市塩山の豚肉料理ともよく合います」。

懐の深い甲州の泡に包まれれば、シンプルな食材も滋味たっぷりなごちそうとなる。ぜひ最高のペアリングを見つけてみてほしい。

▶︎機山洋酒工業の強みとは

日常に寄り添うワインを造る機山洋酒工業。最大の魅力は、ワインから感じられる「心地よさ」だ。ワイナリーの強みについて、土屋さんは次のように話す。

「毎日飲むからこそ、ほっとできて生活に馴染んで心地よく飲めるワインを造っているのが強みだと思っています」。

土屋さんたちにとってワインは、先々代から造られ続けてきたお酒であり、常に家族の食事の場にあった。

食卓で開けるワインは、「今日も一日働いたな、おつかれさま」という思いとともに飲み干す。労働できることへの感謝を、ワインとともに感じてきたという土屋さん。まさに「人生とともにあるお酒」が、土屋さんにとってのワインだ。

「日常に寄り添うものにこそ求められるクオリティを表現したいですね。生活に馴染む、使い心地のよさのようなものを追求できればと考えています。そんな思いを、ブランドイメージとしても出していきたいですね」。

ほっとできて、毎日そばにいてほしい存在。機山洋酒工業のワインからは、家族のような暖かさを感じることができるはずだ。大切な家族や友人と開けることで、機山洋酒工業のワインが真の意味で完成するのではないだろうか。

『機山洋酒工業の未来 ブランドイメージを確固たるものに』

最後に、機山洋酒工業が見つめる「未来」をテーマにお話を伺った。

現在進めている新たな取り組みや、土屋さんが考える「日本ワインの未来」とは。さまざまな角度から、機山洋酒工業の考えるワインへの思いを紐解こう。

▶︎ブランドイメージの大切さに気づく

ワインのエチケットデザインや価格を一新したところだという機山洋酒工業。改訂理由のひとつに、「ブランドイメージの構築」があった。

「ブランドイメージについてしっかりと考えるきっかけになったのは、『ブランドブック』を作るために担当のデザイナーと話をしていたとき、『ロゴやエチケットなどのイメージを統一しないことには、ブランドブックは作れない』と言われたことでした。当初はそんなに重要なことだろうかと半信半疑でしたが、次第にブランドイメージの大切さが理解できるようになってきました」。

ブランドブックとは、企業のブランドイメージをまとめた小冊子のこと。機山洋酒工業のブランドブックには、ワイナリーの歴史やワインの変遷、地域の歴史を掲載する予定だ。

「自分たちが今までおこなってきたことを整理するために作りたいと思います」。

ブランドイメージの統一と言われても、当初、ロゴやエチケットを変える予定はなかった。どうしたものかと悩んだ土屋さんだったが、ちょうどよいタイミングでエチケットデザインを見直す機会が訪れた。GI山梨(地理的表示制度)ができて表示ルールが変わり、印字を変えなくてはいけない部分が出てきたのだ。ちょうど価格調整が必要になるタイミングとも重なり、思い切って全面的にデザインを刷新することにした。

「自分たちらしさは残しながら、ロゴやエチケットを統一しました。デザインを一新するには考えることがたくさんありましたが、自社ブランドのイメージと真剣に向き合う、よいきっかけになりました」。

土屋さんが意識したのは、ブランドの「流れ」だという。例えば、新しくなったロゴマークは、18年ほど前に造ったデザインを調整したもの。またエチケットは、「どこかに以前のデザイン」を感じさせるものであることを意識した。新しいロゴやエチケットでも、機山洋酒工業だと確実にわかることがブランドイメージの確立に重要だと考えたのだ。

新しいファンには「今の機山洋酒工業」を覚えてもらい、長年のファンからは「以前の機山洋酒工業」からのつながりを感じてもらえるように。機山洋酒工業は、これからも、より多くの人に愛されるワイナリーへと成長していく。

▶︎日本ワインの未来に思うこと

最後に伺ったのは、土屋さんが思う「日本ワインの未来」について。長年ワイン造りに携わってきた土屋さんならではの意見をきくことができた。

「日本ワイン文化は確実に広がってきているので、今後も生産量は増えていくでしょう。その一方で、市場の裾野をもっと広げる必要があると思っています。日本ワインの現状は、『ワインファンのコアなお客様』が日本ワインを盛り上げているにすぎません。日本のほとんどの人が日本ワインを飲んだことがない状況で、まだまだ市場規模としては小さいのです。より多くの人に飲んでもらうためには、きちんとした基準でワインを批評する必要があると思います。ワイナリーとお客様が適切な距離感を保ち、シビアな目でワインを判断してもらうことが欠かせません」。

お客さんが違和感をおぼえた部分は率直に意見してもらったほうがよいし、メディアの評価も正直な方がよい。情報過多な世界だからこそ、飾らない意見がワイナリーを成長させる糧になるというのだ。

「20年ほど前のことです、あるワイン愛好家の方と知り合いになってワインを飲んでもらったのですが、欠点をはっきりと指摘されました。もちろんそのときは落ち込みましたね。何年かして再会したとき、以前と同じスパークリングを飲ませてくれと言われたのです。ドキドキしながらサーブすると、『すごくよくなっているよ、とてもおいしい』とのことでした。肩の力が抜けてホッとしましたし、本当に嬉しかったことを今でも鮮明に覚えています」。

あけすけな意見に傷つくこともあるが、本心を隠されるよりも、実は未来のためになる。成長のためには、正直な感想を提供してもらうことが必要なのだと土屋さんは言う。

「私たち造り手側も、自分たちなりに意見し、表現していくことが大切です。また、真摯に向き合うことも重要だと思っています」。

『まとめ』

「特別なことはせず、シンプルな栽培と醸造に取り組んでいる」と、話してくれた土屋さん。代々つないできたワイン造りへのプライドを持ってワイン造りをおこなってきたからこそ、機山洋酒工業の今がある。

先祖代々の土地があり、家業であるワイン造りに取り組む。そして、そのワインを飲んでくれる人々がいる。そんな機山洋酒工業をとりまくあらゆるものに感謝をしながら、ワインを造る土屋さん。

「ワイン造りはたくさんの人に支えられています。これからも、周囲の人たちと支え合えるような人間関係を大切にしていきたいです。ワインで地域を盛り上げ、新しいワイナリーなどとの横のつながりも大切にして、日本ワインのために協力していきたいですね」。

機山洋酒工業のような頼もしいワイナリーの存在が、日本ワインの文化レベルをさらに押し上げ、より魅力あるものへと変容させていくのだろう。これからも引き続き注目していきたい。

基本情報

名称機山洋酒工業株式会社
所在地〒404-0047
山梨県甲州市塩山三日市場3313
アクセスJR中央線塩山駅からタクシーで約10分
中央道勝沼ICから車で約20分
HPhttps://kizan.co.jp/

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