東京都台東区の街中。「BookRoad~葡蔵人~」は、御徒町の路地を少し入ったところにある。もし、何も知らずにこの醸造所の前を通りかかったなら、驚いて振り返ってしてしまうだろう。東京下町の景色の中に、突然ワイナリーが姿を現すのだから。
「BookRoad~葡蔵人~」は、東京でも珍しい醸造所を持つワイナリー。なんと、醸造は一人の女性が担当している。
人と人とをつなぐワインを造る、BookRoad~葡蔵人~。その魅力あふれる思いやワイン造りについて、紹介していこう。
『一人の女性醸造家がワイン造りに打ち込むワイナリー』
葡蔵人の醸造責任者であり、ほぼ全てのワイン醸造・ワイナリー運営を担当している須合 美智子さん。
彼女に、ワイナリーが始まったきっかけや思いについて聞いた。
▶ワイナリーへの思いと醸造へのきっかけ
「葡蔵人」の経営母体、有限会社K’sプロジェクトは、料理店を営んでいる。須合さんは、その料理店のパートとして働いていた。
「会社でワイナリー事業が始まるということだったので、手を上げました」と須合さん。今までは、ワインを一から造る…なんて想像もできない人生を歩んできたという。
なぜワイナリーをやろうと思ったのかを聞いてみたところ、その答えは「楽しそうだったから」というシンプルなもの。
「ワインを造る」ってどういうことだろう、ないものができあがっていくことって、とても楽しいことなんじゃないだろうか…。
そんな、未知なる感覚への好奇心から、ワインの世界に飛び込んだ。
ワインを飲むことは好きだった、と言うものの醸造経験・醸造知識は全くなし。そんな、完全なるゼロスタートを切った須合さん。
ワインを造るようになってからは、「なぜこういう味わいになるのか…どうやったらこの味が出せるのか…」と、今までとは違う感覚でワインに触れることになったそうだ。ワイン醸造への探究心は、むくむくと盛り上がる一方だ。
▶東京でワイナリーをやる意味とは
BookRoad~葡蔵人~では、ワイナリーを東京でやる意味について次のように考えている。
日本人一人ひとりが、ワインをより身近に感じてほしい。東京でやるからこそ、ふと思い立ったとき、ふらっと立ち寄れる存在でありたい…。
葡蔵人はまさにそんなワイナリーだ。ワインを飲んだ後、実際に行ってみたくなる場所。肩肘を張らずに、気軽な気持ちで遊びに行けるワイナリーなのだ。
▶契約農家の協力で生まれるワイン
葡蔵人は、主に契約農家が育てたぶどうを買い取って、ワインの醸造をしている。契約しているのは、山梨や長野のぶどう農家だ。
ワインにとってぶどうは「それなしでは始まらないもの」。そんな大切なぶどうを育てている契約農家さんと、ワイナリーとのつながりについて聞いた。
最初にぶどうを分けてくれたのは、須合さんがお世話になった山梨のワイナリー。Book Roadのワイナリー事業スタートに向けて、ワインを勉強していたときにお世話になった場所だった。
その後は、ぶどうを分けてくれた農家からの紹介で、徐々に取引の数を増やしていき、現在では11件の契約農家とのお付き合いがあるという。
▶茨城の自社農園
茨城に自社農園があるという、BookRoad~葡蔵人~。自社農園について、須合さんに聞いた。
「自社農園といっても、もともと茨城でぶどう栽培をされていた農家さんのもとに交ぜてもらった感じです。自分たちがワインにしてみたい、と思っていたぶどう品種を育てていた農家さんだったので、声をかけて一緒にやっている感じですね」
そのぶどう品種は「富士の夢」というもの。このぶどうの名前を、初めて聞く人も多いのではないだろうか。
富士の夢は日本で開発された新しい品種でメルローにヤマブドウをかけ合わせたもの。濃厚な色調とジューシーな味わいが特徴の、個性が光るぶどうだ。
富士の夢は、日本で作られた品種ということもあり降雨による病害に強い。日本の気候に合う品種を使い、日本ならではのワインを造る。葡蔵人のこだわりを感じさせる品種のチョイスと言えるだろう。
『ぶどうについて』
契約農家や自社農場で栽培しているぶどうは、前述の通り他のワイナリーではあまり見ることのない日本ならではの品種も多い。その個性的なラインナップを見ていこう。
▶育てているぶどう
BookRoad~葡蔵人~ の契約農家・自社農場で育てているぶどう品種は次の通りだ。
- アジロンダック
- 富士の夢
- バルベーラ
- サンジョベーゼ
- 甲州
- デラウェア
- ナイアガラ
これらのぶどう品種は、須合さんがワインを造ってみたいと思ったものだ。中には、取引している農家との話の中で、造ってみたいと思い浮かんだものもある。
特に、ぶどう栽培に関しては農家の人たちの話を良く聞き、イメージを膨らませながらワイン醸造の参考にしているという。
▶契約農家との信頼関係
須合さんと契約農家は、強い信頼関係で結ばれている。そんなエピソードがあったので紹介したい。
2020年は、雨の多い年だった。ぶどうにとっても難しい年で、葡蔵人と取引のある農家のぶどうも例外ではなかった。
しかし、須合さんの元に届いたぶどうは、美しいものばかり。難しい年ながらも、なんとか良いものを作ろうと手をかけてくれたのだった。
そんな農家さんの努力に応えるべく、感謝をしながら大切に大切にワインを醸造している須合さん。常に力を尽くしてぶどうを育ててくれている農家さんのために、また来年良いお天気であることを心から願っているという。
「農家さんは、『2020年の経験をなんとか次に活かせるように頑張る』とおっしゃってくれたので…。いただいたぶどうは、とにかく一生懸命造らなくちゃいけないな、と」
須合さんと契約農家との深い信頼関係。人との縁を大切にし、真摯に生きている須合さんの人柄がにじみ出ている話だ。
▶自社農園のぶどう栽培
茨城にある自社農園は、東京の醸造所から遠く頻繁に行けるわけではない。そのため、共同で管理している地元農家が中心となって、ぶどうを栽培している。
「収穫は、必ず参加するんですよ」と須合さん。ぶどう栽培の節目節目に訪問し、農家の皆さんとぶどうの様子を話しながら、ぶどうの成長を見守っている。
自社農園の圃場の土壌は火山灰土で、砂質のところも多い。
ワインに最適なぶどうを育てるために心がけているのは、窒素肥料を使わないことだ。やせ地を好むぶどうは、肥料が多すぎることを好まない。
そのため、土壌改良も石灰などのミネラル資材が中心となる。また、暗渠排水(あんきょはいすい:地中に穴の空いた管を設置し、土中の余分な水を排水すること。また、その設備)を配備し、水はけの良さをキープしている。
こういった「土作り」については、栽培を管理している農家さんにお任せしているとのことだ。須合さんは、栽培のプロである農家の経験や、情報を信頼している。
▶ぶどう栽培のこだわり
ぶどう栽培においてこだわっていることは、「農薬の使い方」だ。ぶどうが結実してからは、最低限の農薬しか使用しないようにしている。使う農薬も「ボルドー液」という、有機農業にも使用できる殺菌剤が中心だ。
須合さんは言う。「病気になってほしくないとは思うけれど、薬をたくさん使うのはどうかと思うんです」
農薬の少ない栽培は、大変なことも多いはず。しかし、経験豊かな契約農家に支えられ、葡蔵人には毎年、美しいぶどうが届けられている。
『ワインについて』
BookRoad~葡蔵人~ のワインは、食事に合わせて楽しむワイン。その思いは、ボトルに貼られたエチケット(ラベル)にもはっきりと表れている。
ワインに込められた思いや、そのこだわりについて紹介したい。
▶目指すワインとこだわり
目指すワインについて、「安心・安全であることはもちろん、ワインを飲みたいなと思ったときに、最初の候補に入ってくれるワインになりたい」と話してくれた須合さん。
そんな須合さんが思い浮かべている最高のシチュエーションは、誰かへのプレゼントなどのハッピーな場面。日常の幸せの側に自分たちのワインがあれば、嬉しいのだと言う。
そんな葡蔵人のワインのこだわりは、全てのワインをステンレスタンクで醸造していること。ステンレスタンクによるワイン醸造は、ぶどう本来の味が引き立ちやすいという特徴がある。
ワイナリーを創業して間もない今だからこそ、自分たちが醸す「ぶどうの味」を知ってほしいという思いで使っているステンレスタンク。「樽を使うことで引き立つものもあるけれど、今自分ができる一番美味しい造り方は、ステンレス」と話す須合さん。
ステンレスタンクの醸造を極めていく一方で、ゆくゆくは樽醸造にチャレンジしていく可能性もあるとのことだ。そのときは、いったいどんな味わいのワインになるのか…今から想像が膨らむ。
▶未経験スタートならではの苦労
須合さんはワイン醸造を始めて4年目。まだまだ試行錯誤が続くと、自分で自分を分析している。
「研修も1年しましたが、見ているのがほとんど。このワイナリーで醸造を始めてからは、4年目です。ワイン醸造については、思い通りに行かないことばかりです」と話す須合さん。
ワイン醸造中に起こったことについて、「そうなった理由」がなかなか見つけられず、苦労することも多いという。
そんなときは、先輩醸造家たちに話を聞くこともある。特に、お世話になったワイナリーさんの助言は心強い。
具体的に苦労する醸造の作業は、「濾過」だそうだ。
濾過とは、酵母などで濁っているワインをフィルターに通し、清澄度の高い液体にする作業のこと。この作業が、思うように進まないことが多く、試行錯誤を重ねている最中だ。
目が細かいフィルターに、ワインを通そうとすると目詰まりしてしまい、いちいち洗って濾過したり…と手間がかかっているのだとか。ボトルに入ったワインを想像すると驚くかもしれないが、ワインはサラサラと濾過されていくものではないのだそうだ。
濾過に使用されるフィルターの目は、ミクロン単位。目に見えない世界の話だ。そのため、目詰まりしても、いったい何が詰まっているのかもわからない。原因が特定しづらく、何がだめで何が良いかの判断が難しい!聞けば聞くほど奥深い、ワイン造りの裏話だ。
こういった苦労は、「ほぼ全ての工程を手作業にしているからこそ」生まれる苦労でもある。手作業のワイン醸造は骨の折れる仕事ではあるが、「それこそが葡蔵人のワインの良さ」と言えるのかもしれない。
▶エチケットに込められた思い
葡蔵人のエチケット(ラベル)は、とても特徴的。「ワインが入ったグラスの上に、料理や食材がどっかりと乗っているイラスト」が描かれ、可愛らしくもユーモアたっぷりだ。
実は、エチケットに描かれている「ワインと食材の組み合わせ」は、BookRoad~葡蔵人~ がおすすめする、ワインと料理のペアリングを表しているのだ。
例えば、長野県のマスカットベリーAを使用した「ベリーAスパークリング」のエチケット。フルートグラスに入ったスパークリング赤ワインと、その上にチョコレートのマカロンが3つ積み重なったイラストが描かれている。
中には「へぇ、こんな組み合わせも!?」と思うようなイラストもあり、ワインを買えばついついペアリングを試してみたくなってしまう。
「ワイン&料理」のイラストをエチケットにすることは、経営母体である有限会社K’sプロジェクトの「飲食店としての経験」から生まれたアイデアだ。
飲食店で日々お客様に提案していた、お酒や料理の組み合わせ。ワインを買ってくれるお客様にも、一緒に食べると美味しい食事・おつまみを提案できたら…。そんな思いから、このペアリングエチケットができた。
エチケットのペアリングは、スタッフみんなでワインを飲み、話し合いながら決めているのだそうだ。より多くの人に、気軽にワインを楽しんでほしいと願う葡蔵人ならではの、魅力が詰まったエチケット。そのボトルをひと目見れば、手に取りたくなってしまうこと請け合いだ。
▶月イチバルで、気軽にワインを
人とのつながりを大切にしている葡蔵人。目玉となるイベントのひとつが、「月イチバル」だ(2021年1月現在、新型コロナウイルスの流行を受けて休止中)。
月イチバルのスタートまでは、3階のスペースで不定期にイベントを行っていたが「バル」の形ではなかった。もともと温めていた構想がようやく実現したという。
月イチバルの良いところは、思い立ったときにふらっと立ち寄れるところ。
「男性女性、いろんな方が来てくれます」と言う須合さん。会社が近所だ
ったとか、テレビで見て気になっていたとか、訪れる人達の理由は様々だ。
ワインという共通点だけで集まった人たちで、お話したり、仲良くなったり。葡蔵人の魅力が体感できる、気軽に身軽に楽しみたいイベントだ。
▶みんなに楽しんでほしいワイン
どんな場面、どんな人に、ワインを楽しんでほしいか尋ねたところ「どんな人にも飲んでもらいたい!」と力強い答えが返ってきた。
BookRoad~葡蔵人~ のワインは、ワイン未経験者でも経験者でも楽しめるようにできている。そんな思いを体現したエチケットは、未経験者でもペアリングを楽しめるようにと考え出されたデザインだ。そして、ワイン経験者には「日本ワインの魅力を知ってもらえるように」と造られている。
「私達のワインを知ることで、他のワイナリーさんのことにも興味を持ってもらえたら」と話す須合さん。大事にしているのは、葡蔵人のワインを好きになってくれることはもちろん、ワインを飲む人自体が増えていくこと。
目指すのは、日本中の人が飲んでくれること、そしてゆくゆくは海外の人にも楽しんでもらうことだ。
『東京のワイナリーならではの良さ・苦労』
BookRoad~葡蔵人~ は東京のワイナリーだが、東京ならではの良さや苦労はどんなところにあるのだろうか?
東京ならではの良さは、やはり多くの人に身近に感じてもらえるところだという。
「このワインどこで買ったの?」と話す会話の先に「このワイナリー行ってみない?」という会話を自然に生み出せる環境にあることは、大きな利点だ。
一方、東京ならではの苦労には、畑を持ちにくいという点がある。「東京でワイナリーをやっている」という紹介をしたとき、畑がないことを答えるとがっかりされてしまうこともあるのだとか。
「少しだけでも畑を作りたい」との思いも持ちつつ、葡蔵人では引き続き契約農家さんとの関係も大切にする。
「ぶどうを造るのは栽培農家さんのほうがプロなので、何が何でも自分たちで全てやらなくては…という考えではないです」と須合さん。
「契約農家の皆さんとのつながり」「お客様とのつながり」「ワインを造りへの集中」を大事にしているからこそ、人を笑顔にできるワインが生み出せるのではないだろうか?そんなことを感じた。
『未来への展望』
葡蔵人が思い描く未来は、「ワインを飲む人たちが、もっとつながること」。そのためのワイン造りや、イベントの企画が考えられている。
今後の展開が気になる、葡蔵人の未来の一部をのぞいてみよう。
▶どんなワインを造りたいか
葡蔵人では、ピノ・ノワールを使った新しいワインの醸造計画が進行中だ。
2020年春、山梨の契約農家さんのもとにピノ・ノワールが植えられた。苗は現在もすくすくと育っている最中。ワイン用の実がなるまでは4,5年かかると言われているが、須合さんは今か今かという思いでワイン醸造の時を待つ。
本来であれば、このピノ・ノワールは、植樹体験会として参加者と共に植えるはずだったものだ。それが、新型コロナウイルスの流行が原因で中止となってしまったという、苦い経緯がある。
悔しい思いはしたが、「早くワインを造りたい!」と前向きな須合さん。私達も、新しいワインの醸造開始が待ちきれない。
▶チャレンジしたいことは
2021年1月現在、新型コロナウイルスの影響で中止している「月イチバル」だが、状況が落ち着いたら再開する予定だ。
「ワイナリーに立ち寄ってくれる方が増えて、そこでいろんな人が仲良くなって、人の輪が広がっていく、その核になるようなワイナリーになったら素敵だなと思います」
須合さんは、いつでも月イチバルを開けるよう準備をしながら、訪れる人を待っている。
ワイナリーに訪れ、バルで出会う人同士で仲良くなる。お客様同士で、別れ際に「じゃあ、また来月!」と言い合える場所。そんな人とのつながりを作ることができるワイナリーが良いなと言う須合さんに、日本ワインの明るい未来の姿を見た気がした。
『まとめ』
BookRoad~葡蔵人~ は、人と人との輪を生み出すワイナリー。日常のハッピーに、彩りを添えるワインを造っている。
ワイン好きもそうでない人も、この東京下町のワイナリーに足を運んでみてほしい。ワインでつながる絆の温かさが、じんわりと感じられるはずだ。
基本情報
名称 | BookRoad~葡蔵人~ |
所在地 | 〒110-0016 東京都台東区台東3丁目40−2 |
アクセス | 最寄り駅:JR御徒町駅、日比谷線仲御徒町駅から徒歩6分 |
HP | http://bookroad.tokyo/ |