『蔵邸ワイナリー』ワインで「街づくり」、都市部農業の未来を創造するワイナリー

「蔵邸ワイナリー」があるのは、神奈川県川崎市。「川崎でワイン?」と驚く人もいるかもしれない。蔵邸ワイナリーは、日本に数百あるワイナリーの中でも、とりわけ異色の存在。
蔵邸ワイナリーが目指しているのが、都市部農業全体を考えた「街づくり」をすることだからだ。

街づくりとワイン造りとの関係とは?ワイナリーができたきっかけや、ワインを通して思い描くビジョンについて、代表の山田貢さんにお話を伺った。

『蔵邸ワイナリー誕生の背景 都市部の農業ビジネスモデル確立を目指して』

はじめに、山田さんがワイナリーを創業したきっかけについて紹介したい。なぜワイン産業に携わろうと思ったのだろうか?山田さんの経歴と共にひも解いていこう。

▶美容師から農業へ 幅広い分野の経験を積んで

蔵邸ワイナリーのオーナーである山田さんは、農業生産法人株式会社CarnaEst(カルナエスト)の代表取締役だ。山田さんの会社で行っているのは、ワイナリー経営だけではない。
野菜の生産と加工販売、農家レストランの運営、農業体験の実施やワインスクールなど農業の魅力をあらゆる側面からアピールする事業を展開している。
今でこそ都市部農業のプロフェッショナルである山田さんだが、社会人になった当初から農業を志していたわけではなかった。

農業生産法人を立ち上げる前の山田さんは、表参道でフリーの美容師兼ヘアメイクアーティストをしていた。驚くのが、美容師のみならず飲食店での仕事もかけ持っていたこと。

調理師免許を取得してフレンチレストランに勤務、バーテンダーとしても働いていた。
「2足も3足もわらじを履いているような状態でしたから、周囲からは『会社で働かないで、なにをやっているんだ』と言われていました」と、山田さんは当時を振り返る。

そんな山田さんが農業の道に入ったのには、実家の存在が大きく関係している。山田さんの実家は、代々農業を営んでいたのだ。

▶育ってきた街の「農地」が直面している危機

農家9代目である山田さん。土地を相続するにあたって目の当たりにしたのは、都市部の「農地」の危機的な現状だった。都市部の農地は宅地化が進んでいる。
生まれ育った街も同様で、農業の衰退により農地が消え去りつつあったのだ。

全国的に見ても、農地は減少の一途をたどっている。地方で取り沙汰されているのは、耕作放棄地の問題だ。跡継ぎのいない農家が廃業し、農地だけが残った状態が多発している。

一方、都市部は「農地の宅地化」が急激に進行している。宅地化が進む理由は、大都市周辺という恵まれたアクセスのために土地の値段が高いことにある。地方の農地は安価だが、都市部は宅地並みに近い課税対象になってしまうのだ。

山田さんは、自分の農地を宅地化することに反対した。
「自分の生まれ育った街が、宅地ばかりになってしまうのは嫌だ。このまま農地を潰し続けたら街が壊れてしまう」と危機感を抱いたからだ。

土地を農地のまま残すことに決めた山田さんだったが、法律上の問題に直面する。それは、都市部農地の高い税率回避のため、「納税猶予の特例」を適用することで起こる問題だ。
納税猶予の特例を利用すると、対象の農地を他人に貸すことが禁止される。つまり自分自身で一生農業を行う以外に、方法がなくなるのである。

「これから先ずっと農業に従事するとなると、できる限り早いうちに農業経営を軌道に乗せる必要があると考えました」。
年老いてから農業をする選択肢もあったが、山田さんは時を待つことなく農業の道に進むことを決意。都市部ならではの農業ビジネスを確立させるために動き出した。

▶ワインと6次産業の親和性に、都市部農業の可能性を見る

都市部で農業を生き残らせるには、地方とは異なる戦略が必要だ。
都市部では農地が狭く、作物の大量生産による収益化は望めないからだ。 

都市部ならではの戦略として目をつけたのが、農業の6次産業化。6次産業とは、「生産」「加工」「販売」までを行う産業形態のことを指す。
生産以外の付加価値を与えて農業を立体構造化することで、都市でも収益性が高い農業ができるのではと考えたのだ。

6次産業化のためにまず手がけたのは、農家レストランを造ることだ。取り扱う野菜は、自社で栽培する100種類を超える農作物。自社生産なので利益率が大きく向上する。
「料理の食材だけでなく、酒類も自社で賄えないだろうか」。

考えた末に思いついたのは「ワイン」を自社で用意すること。自社醸造のワインなら、ブランドとしての付加価値も付く。バーテンダーやフレンチレストランでの勤務経験がある山田さんにとって、当然の発想だった。

都市部農業を生き返らせるには、ビジネスモデルの構築とともに「農業で夢を与えること」が重要だと考えていた山田さん。将来性のあるワインは、農業の新たなビジネスモデルとして非常に魅力的な分野だった。
統計上も、ほかのアルコール類が伸び悩む中で日本ワインの生産や消費は右肩上がりだ。まさにワインは、日本の都市部農業の救世主的存在だったのである。

▶蔵邸ワイナリーの誕生

6次産業としての都市部農業ビジネスを実現させるため、ワイン造りに動き出した山田さん。2014年にはぶどう栽培を開始。2017年に初収穫を迎え、外部に委託醸造することでワインを生産してきた。2020年からは自家醸造もスタートしている。

土地に制限のある都市部農業ではワインの生産と販売のみに依存したビジネス化が難しいと考え、教育にも力を入れる。開講している「蔵邸ワインスクール」には、現在300名超の受講生が参加する。

ぶどう栽培にワイン生産、レストランでの販売。そしてワインを学習する場の提供。山田さんのワインビジネスに関するアイデアは拡大し続ける。
「都市でも農業をやりたい、ワインを造ってみたい。そんな人の後押しになれれば」。山田さんは、日本の都市部農業の未来を担っている。

『ワイン教育にも利用できるぶどうを育てる』

続いて紹介するのが、蔵邸ワイナリーのぶどう栽培についてだ。

自社の保有する畑は約2haで、そのうち30aがぶどう栽培用の畑だ。多数の事業を抱えながらも、山田さんひとりでぶどう畑を管理している。
蔵邸ワイナリーが川崎の自社畑で実施しているぶどう栽培について伺った。

▶蔵邸ワイナリーで栽培するぶどう品種

まずは蔵邸ワイナリーで育てるぶどう品種について解説したい。自社畑で育てている主な品種は、以下の通りだ。

  • ピノ・ノワール
  • シャルドネ
  • カベルネ・ソーヴィニヨン
  • メルロー
  • ビジュノワール

「ピノ・ノワール」「シャルドネ」「カベルネ・ソーヴィニヨン」といった欧州系ぶどう品種は、「国際品種」と呼ばれている。蔵邸ワイナリーで育てるぶどうには、国際品種が多い。しかし多くの国際品種は西洋の気候に適しているため、日本での栽培は難しい。なぜ栽培難易度の高い国際品種を中心に選んだのだろうか?理由は山田さんが進めるワイン教育にあった。

ワインスクールではまず、「シャルドネ」「ピノ・ノワール」などの代表的ワイン用ぶどう品種の特徴から学んでいく。ワインの勉強をするうえで避けて通れないぶどうであるため、国際品種を中心に栽培しているのだ。

▶ワインスクールとぶどう栽培

ソムリエ資格を持つ山田さんは、ワイン造りを始めた当初からワインスクールの創設を考えていた。ワインを造るだけでなく、教育の場を提供することで、よりワインの魅力を伝えることができると確信していたのだ。

ワイナリーに併設された「蔵邸ワインスクール」では、ワインの知識やテイスティングだけでなく、畑や醸造所を使った実地研修も行っている。スクールで行っているのは、栽培から醸造の全工程を含めたワイン造り体験だ。細かな作業も、参加者全員で力を合わせて行う。ぶどう苗の脇芽を取る作業や傘をかける作業、ぶどう収穫も体験できる。醸造体験では、足踏みで搾汁するなど昔ながらの方法を体感してもらうことも検討している。

また、全国に4校を展開するワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」の講師も務める山田さん。蔵邸ワイナリーの圃場には、アカデミー・デュ・ヴァンの授業用の畑区画もある。ぶどう栽培をワイン生産だけでなく、ワイン教育のために広く活用しているのだ。 

山田さんが考える都市農業の役割は「アグリツーリズム」にある。身近に畑がない都市部では、畑の生産力以上に教育や体験の場を与えることこそが重要だと考えているからだ。

アグリツーリズムとは、農業体験と旅行、短期滞在をかけ合わせた言葉のこと。また都市に近い立地であれば、県をまたぐことなく観光や自然を楽しむことが可能になる。農業をやってみたい、でも簡単にはできない。山田さんのワインスクールは、そんな人たちの夢を叶える貴重な場所なのだ。

『蔵邸ワイナリーのワイン醸造』

続いて、蔵邸ワイナリーが行うワイン醸造についての考えや目指すものについて紹介していきたい。

▶蔵邸ワイナリーが目指すのは「自然や農業を感じさせる」ワイン造り

蔵邸ワイナリーが大切にしているのは、ワインづくりの「ストーリー」。ワインが造られた背景や自然、農業自体に目が向くワインを目指す。

具体的な目標にしているのは、「地元野菜と相性のよいワイン」を造ること。土地の食材を使った料理と合わせて楽しむことは、地産地消の実現にもつながる。

自家製野菜と合わせることを目標に造られている蔵邸ワイナリーフラッグシップワインは「ロゼの辛口」。繊細かつナチュラルな野菜の味にぴったりの味わいだ。

「どうしてこの味のワインを造ったの?この場所でワインを造ってのはなぜ?と、自然とワインについての会話が生まれるようなワイン造りがしたいですね」。
山田さんが行うのは、夢や未来が広がるワイン造りだ。

▶神奈川県初の「ハウスワイン特区」認定に尽力

蔵邸ワイナリーが醸造免許を取得したのは2020年11月。ワイン造りまでには、特区申請という難関が待ち構えていた。

通常の醸造免許を取得するには、ワインを造るうえでの最低醸造量が定められている。「最低醸造量」とは、1年間で最低限生産しなければならない酒の量のことだ。ワインの場合の最低醸造量は年間6kl。ワインボトルに換算すると8,000本に相当する。大規模な醸造設備とぶどうの量が確保できないと、達成が困難な数値だ。

蔵邸ワイナリーでは、醸造量の障害をクリアするべく「ハウスワイン特区」の申請を決断した。ハウスワイン特区とは、農家のみが取得できる制度。「農家自ら栽培した果実であれば、最低醸造量に関係なく醸造できる」という法律だ。蔵邸ワイナリーは、神奈川県川崎市と協議を重ね「ハウスワイン特区」を取得した。

最低醸造量の制限がないという点で利用しやすそうに思えるハウスワイン特区だが、厳しい実情もある。それは「ハウスワイン特区」の制度上、「飲食施設や民泊などの場でしかワインを提供できない」という点だ。
つまりワインの通信販売はおろか、ワイナリーでのボトル販売すらできないのである。蔵邸ワイナリーは次なる目標に向け、より上の段階の特区申請に向けて動き出しているところだ。

初ヴィンテージである2020年に醸造されたワインは、ハーフボトルにして50本ほど。ぶどう500kgの収量を見込んでいる2021年ヴィンテージでは、2020年よりも醸造量が増える予定だ。山田さんが経営するレストラン「Lilly’s by promety」に足を運んで、山田さんが手塩にかけたワインをぜひ味わってみて欲しい。

▶蔵邸ワイナリーで醸造するワイン

2020年の自社醸造では、複数品種をブレンドしたロゼワインを醸造。
2021年ヴィンテージでは、赤、白、ロゼワイン、オレンジワイン、スパークリングワインを造る予定だ。

ロゼワインは2020年と同様、ブレンドで醸造される予定。赤ワインと白ワインについては、「単一ぶどう品種」で醸造が行われる。赤と白を単一品種で造る理由は、テイスティングの勉強に最適だからだ。
ぶどう品種が持つ特徴が、舌で理解しやすいのである。単一品種のワインは、自社のワインスクールのテイスティング授業でも提供される。

知り合いの醸造家が経営するワイナリーで修行して醸造について学んだ山田さん。今後は、醸造技術をさらに高めていきたいと考えている。

醸造技術と同じく精度を高めていきたいのは、ワインに関する知識のアンテナだ。人々に受け入れられるワインを造り続けるには、時代に合ったワインのトレンド、ペアリングの選択肢など、ワインを取り巻く全てに精通していく必要がある。

「ワインはぶどう作りがほとんどと言いますが、それだけではよいワインは造れないと思うのです。広い視野でワイン業界全体を見ていく必要があります」。
山田さんは、広い視野でワインの世界を見つめている。

▶手作業で造り上げた2020年ヴィンテージ

醸造1年目である2020年ヴィンテージは、設備が十分にそろっていない中、ほぼ手作業でおこなった。
「ろ過器や充填機、圧搾機もない状態で、ワインを造り上げました。『この状態でどうやって造ったの?』と驚かれます」と山田さんは笑う。

圧搾は自分の体重をかけてぶどうを搾った。ろ過作業は、澱を沈めて上澄みを手ですくい上げた。気の遠くなりそうな手作業の連続だったが、「自分の手で造った」ことが感じられて楽しい体験だったという。

すでに醸造設備が整ったため、今後は2020年のような「すべて手作業のワイン造り」ではない。しかし山田さんが身をもって実践した手作業での醸造は、今後の「醸造体験会」として生かされる予定だ。

「すべて手作業でもワインはできるのだということを、より多くの人に体験として触れてもらえたら」。
山田さんの思いは「ワイン造り」という行為の先にある。ワイン造りや農業の楽しさをより多くの人に伝えることこそが強い願いなのだ。

『ワイナリーの未来と農業の未来 蔵邸ワイナリーが見据えるものとは』

蔵邸ワイナリーが、ワイナリーとして目指すことやワイン造りの目標とはなんだろうか。さまざまな角度から、ワイナリーの未来についてお話を伺った。

蔵邸ワイナリーには、大きな3つの目標がある。ひとつは、ワイン造りで目指すもの。もうひとつは、次世代教育について。そして最後は、農業のある健康な街づくりについての展望だ。順に紹介していきたい。

▶ワイン造りの目標は「醸造の受託」と「畑の共有」をすること

蔵邸ワイナリーでは、果実栽培農家のワイン醸造を受託したいと考えている。現在の「ハウスワイン特区」では受託できないため、受託可能な特区へ切り替えを進めていく。

蔵邸ワイナリーがワイン醸造を受託したいと考えている理由は、ほかの栽培農家などが発展していく助けになりたいからだ。醸造作業がネックとなり、ワイナリーを始めたくても始められない人は多い。

「醸造施設のシェアがあってもよいのではないかと思うのです。醸造を受託して、一緒になってワイン造りをすることで、地域の活性化につながると信じています」。

ワインの味をどう造っていくか、酵母は何を使えばよいのか。ワイン醸造についてオープンに議論しあい、コンサルティングもできる施設を目指す。

また、醸造施設だけでなく、畑の共有化も構想している。ぶどう栽培を行いたい人が、農地を借りなくても栽培可能にするためだ。
畑の共有化が実現すれば、畑で栽培したぶどうを利用して一緒にワインを造り上げることも可能になる。

蔵邸ワイナリーはワイン造りのハードルを下げ、あらゆる人に「ワイン造り」を解放することを目指していく。

▶次世代のワイナリー経営者たちを育てたい

ふたつ目に紹介する目標は、次世代のワイナリー経営者を育成する環境を整えること。そのために農業ビジネスのスキームを完成させ、若い世代がワイン造りに参入できる土台を固めていく。

具体的に考えているのは、都市部農業経営や都市部でのワイナリー経営が学べる学校を造ることだ。地方と都市では、農業経営で影響する法制度等が異なるため、都市部ならではの知識や考え方を伝授していくことが大切になる。

農業で生計を立てるのが難しい都市部では、農業に対してやる気のある人材が出てきにくい土壌ができあがってしまっている。
そのため、行政とも連携しながら、都市の農業活性化に向けた取り組みを続けていく。

▶農業を生かした「健康な」街づくりを目指して

最後に紹介するのは、都市部農業を生かした街づくりへの展望だ。現在構想中なのは、農業やワイン造りの力で「病気を未然に防ぐ街づくり」をおこなうこと。
「『ぶどう栽培体験の前後で、健康に関する数値を測定する』などの試みもおもしろそうですよね」。
農業に従事して体を動かすことで、未病対策が行える施設を造ることを目標にしているのだ。 

熱意の根底にあるのは、農業やワインを通じて街全体を活性化させることだ。山田さんを突き動かす原動力の軸は、決してぶれることはない。

『まとめ』

蔵邸ワイナリーは、都市部農業の未来のために幅広い事業を展開している稀有なワイナリーだ。ワインや農業を利用して人々によりよい生活を提供するため、さまざまなアイデアや体験を提供する。
蔵邸ワイナリーからは、次々と新しい構想が生まれて実現している。蔵邸ワイナリーは、常に新しい目標に向かって挑み続ける。

都心から程近い立地の蔵邸ワイナリーに出向き、農業の体験をはじめてみてはいかがだろうか。ワイン造りを実際に体験することで、都市部での農業や自然の大切さが理解できるはずだ。

基本情報

名称蔵邸ワイナリー
所在地〒 215-0027 
神奈川県川崎市麻生区岡上 225
アクセス電車
小田急線鶴川駅から徒歩10分
HPhttp://carnaest.jp/

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