『ドメーヌ・タカヒコ』ピノ・ノワールで日本の食文化を表現するワイン界の哲学者

日本ワインファンなら知らないものはいないだろう、「ドメーヌ・タカヒコ」。北海道余市の地でピノ・ノワール一本で勝負する醸造家、曽我貴彦さんが代表を務めるワイナリーだ。

どこか懐かしく、優しい気分になる味わいのドメーヌ・タカヒコのワイン。柔らかなのにもかかわらず存在感を放つ曽我さんのワインには、どんな秘密が隠されているのだろうか。

ドメーヌ・タカヒコの歴史をたどりながら、曽我さんのワイン哲学に迫っていきたい。

『曽我さんとワインの物語』

最初に見ていくのは、曽我さんが自身のワイナリー「ドメーヌ・タカヒコ」を作るまでの物語だ。ドメーヌ・タカヒコはなぜ生まれたのか、また曽我さんの「ワイン造り」に対する思いとはどのようなものなのか。

曽我さんのワイン造りにおける思想の根底を形作った歴史を紐解いていこう。

▶︎時代背景と大学のきっかけ

長野県で日本酒とワインを造る「小布施ワイナリー」の次男として生まれた曽我さん。幼少期から酒造りの現場を間近に見ながら育ってきた。

実家が日本酒を造っていたこともあり、日本酒造りについて学べる東京農業大学に進学した。曽我さん自身も当時は日本酒に興味を抱いていたという。

「当時は新潟のお酒を中心に、日本酒が人気だった時代でした。日本国内でも価格が高騰していて、おもしろい世界だなと思って進学したのです」。

しかし入学した数年後にはバブルが崩壊し、「日本酒離れ」がやってくることになる。続いて訪れたのは、辛口赤ワインブームだった。曽我さんは、ワインが盛り上がる気配を察知。研究対象をワインに切り替えようと決意した。

「大学の研究室選択のタイミングで、ちょうどワイン専門の研究室ができたのです。ちょうどよい機会だと、ワインの研究室に入りました」。

▶︎「ワインはぶどう」現場で生きることを望む

大学ではワインの研究に没頭した曽我さん。研究室の勉強を続けながら、大学で教員として働くことになる。日本ワインの新たな時代の幕開けを支えた「ウスケボーイズ」たちの師である麻井宇介氏などとの繋がりもでき、ワインに関する研究に没頭した日々を送っていた。

曽我さんが所属する研究室の専門は「発酵学」。しかし研究を進める中で曽我さんはある答えにたどり着く。

「ワインは『発酵』で美味しくなるわけではない。すべてはぶどうで決まる」。

研究する中でたどり着いたこの答えは、自らワイン造りをするようになった現在でも変わっていない。ワインはぶどうがすべての「農作物」なのだ。原料であるぶどうの重要性を考えれば考えるほど、曽我さんには「自分でワインを造りたい」という気持ちが大きくなっていった。

自分自身でぶどうを育て、ワインの可能性を追求したい。曽我さんには研究者を続ける道もあった。だがあえて、「造り手」としての道を選んだのだ。

「ワイン造りを始めようとしていた時期に勉強していたのは、カリフォルニアワインについてでした。当時のカリフォルニアワインは、ヨーロッパに追いつけ追い越せと勢いがありました。そのスタイルに興味を持ったのです」。

そんな曽我さんに、またとない機会が訪れた。日本で活躍していたアメリカ人醸造家ブルース・ガットラヴさんとの親交ができ、当時ブルースさんが醸造長、取締役を務めていた「ココ・ファーム・ワイナリー」で働くことになった。カリフォルニアの栽培法や栽培理論についても知れた、非常に有意義な時間だったという。

▶︎ココ・ファーム・ワイナリーでの10年間

実践と学びの機会を渇望する曽我さんに、幸運の女神はまたも味方する。世界的なワインコンサルタントであり、ニューワールドの栽培学の権威であるリチャード・スマート氏がワイン造りのメンバーに加わり、貴重な学びが得られたのだ。

ココ・ファーム・ワイナリーでのぶどう栽培は、およそ10年間続いた。世界最先端の情報に触れながら、実践的に栽培を学ぶことができた貴重な経験だった。

「足利の自社畑で畑作りをする以外にも、ココ・ファーム・ワイナリーで私が担当した仕事がありました。日本全国から海外に負けないおもしろい原料を調達することと、日本有数の高温多湿な地域である栃木県の足利で、どうすればよいワインが造れるかを考えることです。当時のワイン業界は海外原料が主流でしたが、本気で今後の日本のワイン造りについて考え抜きましたね」。

10年間さまざまなことを吸収したが、アメリカの農場が売却されココ・ファーム・ワイナリーが次のステージへと進んだことをきっかけとして、曽我さんはココ・ファーム・ワイナリーを退社。自身のワイナリーを立ち上げることになったのだ。

▶︎なぜ日本で造るのか?自問自答の果てにたどりつた答え

海外の地でのぶどう栽培にも造詣が深い曽我さんには、日本以外で自分のワインを造る選択肢もあったはず。しかし曽我さんは、あえて日本国内でのワイン造りを選んだ。

「自分でも、なぜわざわざ雨の多い日本でワイン造りをするのか?と考えました。自問自答していくと、シンプルな答えにたどり着きました。私は日本の食が好きなのです。そんな日本の食文化に合うワインを造りたいというのが答えでした」。

濃さに頼らず旨味で語る日本の繊細な食は、食べる人をほっとひと息つかせてくれる包容力がある。ワインもまた、「濃い味わい」だけが正解ではない。日本の食に寄り添うワインがあってもよいのではないか。曽我さんが自分の中で導き出した答えは、今でもドメーヌ・タカヒコのワイン造りの根幹を成す思想だ。

だが、高温多湿の日本においてぶどう栽培が難しいのは事実。日本で最高のワイン用ぶどうを作るには何にもまして「場所選び」が重要になるということを、曽我さんは誰よりも理解していた。

「幸いココ・ファームでの経験から、日本のどの場所でよいぶどうができるのか、どの場所でワインを造るべきかということは知り尽くしていました。そんな中、数ある産地から、私は北海道余市を選んだのです」。

こうして、曽我さんのワイン哲学を詰め込んだワイナリー、ドメーヌ・タカヒコが誕生した。

『余市が持つワイン造りのポテンシャル 唯一無二のワインを造れる環境』

続いては、ドメーヌ・タカヒコが「余市」を選んだ理由を深掘りしていきたい。

余市だけが持つ、ワイン造りに不可欠な要素とは?曽我さんが長年の経験から導き出した答えを紹介したい。

▶︎なぜ、北海道余市なのか 気温が低く「雨」がある場所を探して

曽我さんは、なぜ北海道余市をワイナリーの地として選んだのだろうか。結論からいうと、気温がぶどう栽培に最適だからということに尽きる。

余市の夏は平均気温20度前後と涼しく、冬は冷え込むものの、雪が降るおかげでぶどうの樹が越冬できる環境。まさに、日本におけるぶどう栽培の黄金郷なのだ。

「日本で美味しいワインを造りたかったら、寒いところに行くしかないという結論でした。しかし、年間を通してちょうどよい寒さというと土地選びが難しくなってきます。北海道は夏が涼しくても冬が厳しすぎる場所が多いためです。ワイン用ぶどうが育つ環境としての理想は、夏涼しく雨量もそこそこあって冬越できる環境ですね。それがまさに余市でした」。

気温が大切なのは理解できるが、なぜ雨が必要なのだろうか?一般的には、ワイン用ぶどうは大敵だといわれることが多い雨。ぶどうに病害虫をもたらし、味を薄くする存在だと語られることが多い。

しかし曽我さんは、雨こそが日本の気候の持ち味だと考える。雨によってぶどうの品質が落ちることはほとんどないと言うのだ。

事実、フランスの銘醸地ブルゴーニュやシャンパーニュでは比較的降水量が高いにもかかわらず、ブルゴーニュでは「傘かけ」せずとも質の高い健全なぶどうが育っている。

では、ブルゴーニュと日本の最大の違いは何か?一番の違いは、夏の気温の低さだ。

夏が高温になると、食べ物は腐敗しやすくなる。発酵文化が発達しているのは、いずれも比較的寒い地域。発酵が健全に進みやすいからだ。だからこそ夏に気温が低く過ごしやすいヨーロッパ諸国では、ワイン文化が発展してきた。そして、日本でそんなブルゴーニュと似た気温帯なのが、北海道余市だったのだ。

▶︎雨は繊細な味わいのぶどうを育む

「夏の気温の問題さえクリアできれば、雨が降ることはぶどうの味わいの繊細さを引き出す要素になります。ぶどうは乾燥気味に育てたほうがよいと言いますが、水が少ないと実が凝縮して濃く強いワインができることになるのです。濃いワインは万人受けしますが、飲み疲れしてしまったり長い熟成が必要だったりします」。

世界中が乾燥地帯で栽培することがベストと考え、砂漠地帯での栽培へと向かっている。なぜなら、ハウスの中のトマト栽培のように、雨の降らない場所での栽培の方が簡単であるからだ。そのため、乾燥地帯でぶどう栽培をするワイナリーは増えている。

そんな中、雨がありつつもワイン用ぶどうを造れる場所は限られるので、かえって強みになるだろう。ワイン造りにおいて雨があることは「面白い」と曽我さんは言う。

ドメーヌ・タカヒコの自社畑では、有機栽培を実践している。有機栽培における肝は、畑の土の腐食層だ。微生物が住む有機物を増やすことで大地が豊かになり、肥料や薬を与えなくても植物が育つようになる。

そもそも、ワインの発酵に欠かせない「酵母」も、自然に生きる微生物。多様な酵母が生きるほど、発酵によって豊かな香りが生み出される。

そして微生物が生命を維持するためには、水が欠かせない。つまり、水に恵まれた大地で育ったぶどうには、雨の多い国だからこそ表現できる繊細な味が宿るのだ。

「雨の多い日本で、濃くないからこそ表現できる繊細な味わいをワインに写し込みたいのです。余市だからこそできるワイン造りをしたいですね」。

ぶどう栽培において、ともすれば嫌われがちな「雨」を、日本の個性として受け入れ強みにするドメーヌ・タカヒコ。曽我さんのお話は、日本の食文化が雨が多い気候とともに発展してきたことを思い起こさせてくれる。

『ドメーヌ・タカヒコが目指すワイン』

ドメーヌ・タカヒコのワインは、いわゆる「ナチュラルワイン」だ。ぶどうは有機栽培され、発酵は野生酵母によって進められる。一部のワインには、酸化防止剤も使っていない。

だが、曽我さんは「ナチュラルワインを造ること」を醸造の目的にしているわけではない。日本ワインの美味しさを追求した結果、自然とナチュラルな造りになったという表現が適切だ。

せっかく自然に「よい土壌や菌」があるのだから使えばよい。わざわざ乾燥酵母や酸化防止剤を使うのはもったいないではないか。曽我さんの思いは、ある意味で究極的にシンプルなものだ。

そんな曽我さんが、栽培が難しいといわれるピノ・ノワールの栽培を貫く理由とは何か。ナチュラルワインとピノ・ノワールという、ドメーヌ・タカヒコを知る上で欠かせない要素について探っていきたい。

▶︎ナチュラルワインとの出会いと、ピノ・ノワールという選択

話はココ・ファーム・ワイナリー時代の、2000年代前半頃に遡る。ナチュラルワインのブームがやってきたのだ。曽我さんを含めた若い造り手達は、ナチュラルワインに大きな関心を寄せていた。

興味の理由は、偉大なワインがことごとくナチュラルな造りのものだったから。有名なところでいうと、ブルゴーニュの至宝「ロマネ・コンティ」は有機農法を採用している。

「当初ココ・ファーム・ワイナリーのある栃木県の足利では、農薬などの化学の力で自然を制御してぶどうを育てていました。しかしナチュラルワインが台頭してきたことで、ワインの可能性を引き出すには有機農法がよいのではないかと考えるようになってきたのです。若い生産者も含めて勉強し、ディスカッションを重ねました。ナチュラルワインについて右も左もわからない中みんなで話し合ったのは、今思い出すと、非常に楽しく意味のある時間でしたね」。

ナチュラルな造りで繊細なワインを造りたいという思いがあった曽我さんは、自分のワイナリーで有機栽培を実践すること、そして「ピノ・ノワール」を育てることを決める。ピノ・ノワールといえば、ブルゴーニュに代表される赤ワイン用ぶどう品種。雨のある地域で育つことと、繊細な味覚を好む日本食との親和性からピノ・ノワールを選んだのだ。

▶︎ピノ・ノワールにこだわる理由

ピノ・ノワールの栽培にこだわる最大の理由は、前述のとおり「繊細なワイン」を造るためだ。日本食の繊細さをワインで表現したいと考えている曽我さんにとって、ピノ・ノワールが自分の世界観を一番表現しやすいぶどうだった。

曽我さん自身、繊細なワインが好みだという。ちなみに曽我さんが感銘を受けたワインは、フランス・ジュラの醸造家ピエール・オヴェルノワ氏が造った、プールサールという品種を使ったワイン。穏やかで上品、かつ滋味たっぷりのワインだ。プールサールはピノ・ノワールに似ている品種特性を持つともいわれる。

ピノ・ノワールのみを栽培するもうひとつの理由は、的確に造り手の「メッセージ」を伝えるためだ。

ワインの造り手には、必ず何かしら「ワインを通して伝えたいこと」がある。そのメッセージの伝達手段としてもっとも優れているのが、ワイナリーが「メインに据える品種」で造ったワインだ。造り手の矜持は、メインの品種でこそ伝わるものなのだ。

「さまざまな品種に手を広げると、造り手が何を伝えたいかがわかりづらくなってしまいます。私のワイナリーが皆さんに覚えてもらいやすいのは、メッセージ性を強く打ち出しているからです。ピノ・ノワール一本で、方向性や考え方すべてを表現しているのです。だからこそ印象に残り、覚えてもらえるのだと思いますよ」。

そんな曽我さんには、ワインを選ぶときのこだわりがある。品種でもメーカーでもなく、「造り手」で選ぶこと。「この人が造ったワインだから美味しい」そんな強いメッセージを伝えてくれる造り手への信頼は絶対的なものなのだ。

曽我さんにとってピノ・ノワールは、理想のワインを実現するための唯一無二の相棒だ。周囲には「ピノ・ノワール以外も育ててみては?」と言われることもあるという。だが、決して目移りすることなく、これからもピノ・ノワールに自分の情熱のすべてを捧げていく。

『日本の食文化をワインで表現したい ワイン造りの信念』

それではここからは、より具体的なワイン造りの話に移っていこう。

曽我さんがワインで表現したいのは、「日本の食文化」なのだとか。いったいどういうことだろうか。

▶︎ドメーヌ・タカヒコがワインで表現する独自の世界観

「テロワールの中に含まれる『食文化』を、ワインの中に閉じ込めています」と、曽我さん。

ドメーヌ・タカヒコがワインで表現するのは、日本の食文化だ。ワインで、日本にもともとある食文化を語りたいという。

ドメーヌ・タカヒコが目指すのは「その地域の食材と一番合うワイン」。地域の農家の手作り味噌のような「そこにしかない味」に合う、「そこにしかないワイン」を造る作業こそが曽我さんのワイン醸造なのだ。

ドメーヌ・タカヒコが目指すワインの味と香りについて紹介しよう。

「日本の森を思わせる香りのワインを造りたいと思っています。山や自然の中のような香りです。土やきのこ、草、木、風などの微細な香りが調和したものが理想です」。

すべての日本人のDNAに刻まれているであろう、里山の懐かしさと心地よさ。ドメーヌ・タカヒコのワインを飲めば、昔の日本の風景を味と香りで感じられるはずだ。

「例えるなら、田舎のおじいちゃんの家に帰ったときに感じる香りのようなものですかね。あっと驚くような味ではなく、懐かしさで涙が出るような味を造りたいのです。土瓶蒸しのような、じんわりと染み渡るお出汁の味です」。

日本人なら理解できるであろう懐かしく温かい感覚を、曽我さんのワインは思い起こさせてくれる。

▶︎「お出汁味」を軸につながるペアリング

ドメーヌ・タカヒコのワインは、どんな食事と合わせて楽しむと魅力が引き立つのだろうか。

曽我さんのおすすめは、日本料理やジャパニーズ・フレンチ、ジャパニーズ・イタリアンなどとのペアリング。ワインと和のエッセンスが寄り添うことで、自然に馴染む組み合わせになるという。

「無理やり合わせるのではなく、自然とマッチするのが理想です。地域の香りを移したワインと地域食材を使った料理が合わされば、そこには自然と食文化が生まれます」。

組み合わせの肝になる要素は、「旨味」だ。曽我さんは旨味を「お出汁味」と表現する。日本の気候風土でしか生み出せない唯一無二の風味だ。

ドメーヌ・タカヒコのワインには「お出汁味」があり、だからお出汁ベースの料理との相性が最高なのだ。

なおドメーヌ・タカヒコのワインは、デンマーク・コペンハーゲンの世界的レストラン「noma(ノーマ)」の提供ワインに採用された。

ノーマの料理は、日本食からの影響を色濃く受けているという。和食の心をリスペクトするレストラン、ノーマの料理とドメーヌ・タカヒコのワインとのペアリングは必見だ。

▶︎海外を通して見える日本の強み 日本の誇りを大事にしたい

ドメーヌ・タカヒコは、積極的に海外展開している。海外と交流を持つ理由は、ほかでもない「日本」のため。海外の評価を「逆輸入」し、日本人が和食文化の素晴らしさに気づくきっかけにするためだ。

「日本の食文化は我が国の誇りです。しかし日本人は、海外の人から言われないと自国のよさに気づけない傾向があります。せっかく世界に誇れるものを持っているのに、非常にもったいないことです。私が海外に日本ワインを発信することが、日本にしかないよさを国内に気づいてもらうきっかけになれば、日本でも自国の食文化への再評価が進むでしょう。だからこそ、『日本の味とは?』という部分を突き詰めて考え、ワインで表現しているのです」。

曽我さんは、地域の味を失いかけている日本の食文化に警鐘を鳴らす。工業化による大量生産は、便利で安く提供できて品質が安定する。だが、その地域特有の味が失われていくことにもつながってしまっている。

「東京二子玉川で行われた食関連のイベントに参加した際に、出店者に小さな醤油屋さんがいました。日本はこういった『昔から続いてきた地域の店』を評価し、守っていくべきだと思うのです。日本ワインも同じで、日本の各地域が持つ味を追求する必要があると思っています。海外ワインのようなものを目指すよりも、日本の魅力に気づくことが大切なのではないでしょうか」。

曽我さんのメッセージは、ドメーヌ・タカヒコのワインを知る人々には確かに届いているようだ。ドウメーヌ・タカヒコの収穫ボランティア募集では、5時間で400人が満席になる。曽我さんの考えに共鳴した人々の多さと熱量に驚かされるエピソードだ。

「きっと海外ワインにはない『何か』に心を打たれたからこそ、道外からホテルを予約してまで、わざわざ収穫に来てくれるのだと思いますよ」。

実直に「日本にしか造れないワイン」を追い求める曽我さんの姿勢は、人々を動かし始めているのだ。熱い想いは若い造り手にも波及し、感動できるワインを造る生産者は確実に増えている。

日本ワイン、そして日本食文化のためにできる限りのことをしていきたい。曽我さんの言葉は、どこまでも力強く情熱的だ。

▶︎ドメーヌ・タカヒコにとって、ワインとは?

最後に、ドメーヌ・タカヒコにとってワインとはどのような存在なのかを尋ねてみた。

「造り手のメッセージを伝えられる、不思議な食品ですね。素晴らしい野菜や果物はたくさんありますが、その農作物が『生産者の込めたメッセージを伝える』のは難しいこともあると思います。一方で、ワインには造り手の伝えたい思いが込められるのです。しかも、造り手のメッセージを感じてくれる飲み手が思いを拡散してくれるのです。私がワインを造り続ける理由は、ワインを通してメッセージを伝えることにあると思っています」。

地域の農産物として、消費者に日本の農業文化と食文化を伝えることが、ワインの造り手の使命なのだ。曽我さんは日本中に自身のメッセージを伝え続けるため、これからもただひたすらにワインに向き合い続ける。

『まとめ』

曽我さんのお話には、「日本の食文化」という言葉が繰り返し登場した。「ワイン」というと「西洋のお酒」というイメージを強く思い浮かべてしまうかもしれないが、その本質は「地域の農作物でできた酒」なのだ。

日本ワインは日本の気候風土で育った農作物であり、日本の味を映し出す鏡。曽我さんは日本でしかできないワイン造りに全力を注ぎ、出来上がったワインや醸造への姿勢によって人々に感動を与える。

「美味しいかどうかだけではなく、日本の強みを理解してほしいのです。私たちは、ほかの国が真似して造りたくなるような日本ワインならではの味を造れるはずですよ」。

職人気質の曽我さんは、自分の「メッセージ」を、言葉ではなくワインをとおして雄弁に伝える。ドメーヌ・タカヒコのワインを飲めば、曽我さんの伝えたいことがダイレクトに理解できるはずだ。曽我さんがワインに詰め込んだ、日本の誇りと独自性をぜひ感じてみてほしい。

基本情報

名称ドメーヌ タカヒコ
所在地〒046-0002
北海道余市郡余市町登町1395
アクセス《電車》
小樽駅から、余市方面は1時間に1本程度
JR余市駅よりタクシーで13分または徒歩で60分
(乗り継ぎが悪い場合は小樽からの路線バスがお勧めです)
《バス》小樽駅から、余市方面は20分に1本程度
小樽駅発 余市方面行きのバスに乗り
余市駅で下車(大浜中バス停(鶴亀温泉)下車でも良い)
そこから、タクシーで13分(大浜中からは8分程度)
(ツバメタクシー 0135-23-3111)
《車》
余市町立 登小学校を目指して下さい。小学校の少し先にある登神社の道を挟んで
西側に見える丘の中腹にドメーヌ タカヒコがあります。(登神社から200m程度)
HPhttp://www.takahiko.co.jp/index.html

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