宮崎県綾町は、日本の中でもいち早く自然との共存を目指してきた「有機農業の町」だ。綾町にある「香月ワインズ」は、無農薬無添加の自家栽培ぶどうを中心にワインを造っているワイナリー。
代表を務める香月克公(かつき よしただ)さんはバックパッカーだった経歴があり、独自のワイン哲学を持つ。
今回迫っていくのは、香月さんがワインと出会い、現在まで歩んできた道のりについて。そして香月ワインズのワインに込められた思いについてだ。
香月ワインズのテーマは「多様性」。多様性を重んじる理由と、ワイナリーを立ち上げるまでのエピソードを、じっくりと紐解いていこう。
『バックパッカーから醸造家へ ワインとの出会いときっかけ』
香月ワインズの代表である香月さんは、バックパッカー時代には、ワインはもちろんお酒にすら、それほど興味を抱いていなかったという。
そんな香月さんが、どうしてワイン造りを始めるに至ったのだろうか。まず紹介するのは、香月さんがワインに出会うまでの物語だ。
▶「やりたいこと」を探して 日本そしてニュージーランドでの放浪の旅
20代の香月さんは、アルバイトをしながら日本中を放浪して生活していた。
「自分のやりたいことや、自分には何ができるのだろうと考えては、ストレスを感じている毎日でした」。
漠然と海外へ行きたいと感じるようになり、ワーキングホリデーを利用してニュージーランドに渡った。日本では見つけられない面白いことを求めて、自分探しの旅ともいえるバックパッカー生活が始まった。
ニュージーランド到着直後には英語に自信がなかったため、「農業」をすることを選んだ。世界中のバックパッカーが集まる安宿に泊まりながら、農業に従事する日々を過ごす。
仕事がなくなると、農作業員を募集している別の農場に移動する。次に働かせてくれる農場を探していたとき、マールボロ地方の中心都市「ブレナム」で、ぶどう栽培の仕事があることを知る。
マールボロ地方は、ニュージーランドにおけるワインの一大産地だ。
こうして「ぶどう栽培」と巡り合うことになった香月さん。ニュージーランドに到着して4か月後のことだった。
▶たどり着いたブレナムのぶどう畑 ワインとの出会い
ブレナムで働いたのは、家族経営の小さなワイナリーだ。
小規模ながら、1970年代に創業した歴史あるワイナリーだった。
当時の季節は冬。ニュージーランドでのぶどう栽培経験は、剪定の仕事から始まった。季節は流れ、やがて収穫の時期になる。
ワイナリーでの醸造シーズンが始まると、雇い主から「ワイン造りを手伝ってくれないか」と声をかけられた。これが香月さんとワイン醸造とのファーストコンタクトだ。
海外で農業をする生活を楽しんでいた香月さん。日本に帰らずニュージーランドでの生活を継続したいと考えた。
だがワーキングホリデーのビザは1年間のみ。楽しかったワーキングホリデーの生活は終わりに近づいていた。
そんな香月さんに、雇用主から願ってもないオファーがあった。労働ビザを取得し、ワイナリーで働き続けることを提案されたのだ。
「ストライキが多い現地の人に比べて、勤勉な日本人は、雇用主にとっても嬉しい存在だったようです。ニュージーランドで働き続けたかったので、最高の提案でした」。
▶ニュージーランド2年目のワイン造り ワイン造りの面白さに魅了されて
ワーキングホリデーが終わり、ワイナリーでの仕事は2年目に突入した。2年目の作業では、ぶどう畑での仕事にも慣れてきた。
どうしたらぶどうがうまく成長するか、栽培作業の組み立てを自分で行うことができるようになっていた。
栽培と並行して醸造のコツもつかむ。最初はまったく分からなかった「ワインの味」を理解し始めたのだ。難しかった品種の違いも分かるようになった。
「品種の特徴と、仕込んだあとの味が紐付いて見えてきたのです」。
2年目にして気付かされた、ワイン造りの面白さ。長年探し求めていた自分のやりたいことは「ワイン造り」かもしれないと感じるようになる。
醸造家としてのキャリアの形成に向けて動き出した香月さんは、本格的な資格取得を決意。マールボロ地方にあるワインの学校で、専門技術を学ぶことにする。
3年かけて醸造栽培学を学んだ。卒業後には本格的に「醸造家」としてニュージーランドで就職を果たす。永住権の申請をし、ワイナリーの技術者としてニュージーランドでずっと生きていくつもりだった。
『ニュージーランドからドイツそして日本でのワイン造りへ』
ニュージーランドに渡航して7年が経った頃、香月さんはニュージーランドでのワイン造りに違和感を覚え始める。
ニュージーランドのワイン造りで抱いた違和感と、現在のワイン造りの信念にも大きな影響を与えたエピソードを見ていきたい。
▶ニュージーランドでのワイン造りに生まれた「違和感」
香月さんが抱いた違和感は、ニュージーランド全体で盛り上がりを見せるワイン産業全体から感じられたものだった。
「ニュージーランドに渡りたての頃は、ちょうどニュージーランドワインが世界から注目され始めた時期でした。これからニュージーランドがワインで世界に挑戦していく、勢いのあるタイミングだったんです。しかし6〜7年経った頃から、様子が変わってきました」。
過渡期を脱して大きく成長したニュージーランドのワイン産業。「ニューワールドのワイン」として、世界的に人気が高まっていた。世界中からの需要の高さに生産が追いつかなくなり、多くの土地がぶどう畑につくり変えられている現状があったのだ。
ぶどう畑開拓のため、羊牧場の買収がはじまった。羊たちがのんびりと草をはむ土地は、ダンプトラックによって次々と崩される。切り開かれた山々は、ぶどう畑に姿を変えた。
ワインのために自然が犠牲になる様子を見ていると、わきあがってきたのはニュージーランドのワイン造りへの疑問。生産のみを追求するワイン造りへの違和感は、日ごとに増していく。
多大な需要により、少しでも収穫が止まると生産が間に合わない。ワイナリーのスタッフは、12時間交代で目まぐるしく働いた。
工場にある機械の歯車になったような心地だったという。
しかも、自分たちが造ったワインの80%は国外に輸出される。果たしてこれは自分のしたかったことなのか?
ニュージーランドワインへの疑念と連動するように、周囲との人間関係も崩れだした。
勤勉に働いて学び、資格も取得した香月さん。急激に会社の重要な地位に上り詰めていくアジア人に対する、地元労働者からのねたみがあったのだ。
「勝手に『あいつはサボっている』という作り話をされて、社長に告げ口されたこともありました。口論になることも多かったですね」。
ニュージーランドに渡ってから8年目のことだった。スランプにおちいり、うつに近い状態になった。そんな香月さんを見かねて、別のワイナリーで働いていたニュージーランド人の友人から気分転換をすすめられた。
違う世界を知るために、ドイツのワイナリーを紹介してくれたのだ。友人からのアドバイスを受け、香月さんは長期休暇を取ってドイツに向かった。
▶ドイツで触れたワイン造りの本質
2008年9月、香月さんは友人から紹介されたドイツのワイナリーを訪れた。ドイツのぶどう畑では、ちょうど収穫が始まる時期だった。
収穫の手伝いをした香月さんは、ドイツのワイン造りに衝撃を受ける。
今まで自分が携わってきたニュージーランドとのワイン産業とは、正反対だったからだ。ドイツのワイン産業は、日常の延長にある穏やかな世界だった。
当時ニュージーランドのワイン産業に参入する層は、第二の人生をワイン造りで謳歌しようと考える裕福な人々が多かった。高値で外国に売ることを目指し、「世界と勝負して認めてもらおう」との野望に燃えていたのだ。
一方のドイツでは、ワイン造りは古代から続く伝統的な産業のひとつ。何千年も変わらず、土地に生きる家族が代々ワインを造り続けている。昔から営まれてきたワイン造りの風景は、ドイツの人々にとっては日常に寄り添う当たり前の景色なのだ。
「日本でいう、里山と田んぼが広がる『田園風景』と同じものなのだなと感じました」。
ワイン造りが生活に根付いているからこそ、ドイツではワインの価格も手頃だ。10€以下で美味しい地元のワインが飲めた。
「これこそが、本当のワインの世界だと実感しました。いくらメディアで高級なワインがクローズアップされようと、日常にあるワインが真実なのだと理解したのです」。
ドイツでの生活で香月さんが印象に残ったのは、家族総出で収穫の手伝いをしていたことだ。日頃は大きな街で働いている娘や息子も、収穫時期には畑仕事の手伝いをしに戻ってくる。ワイン造りの現場には、昔ながらの助け合いの心が生きていた。
ドイツに滞在した2か月間、香月さんは地元の家を回ってワインの配達をした。空き瓶を回収してリサイクルし、また新しいワインを詰めて家々に運ぶ仕事だ。昔ながらの、牛乳配達のようだった。
収穫の日の昼には、テーブルを囲んで家族そろって食事を楽しむ。食卓には、フレッシュなチーズにパン、ソーセージ。そして地元のワインが並んだ。シンプルながらも贅沢な食事だった。
食事が終わると昼寝をはさみ、また暗くなるまで畑で働く。ドイツでの日々は、単純だが穏やかで幸せに満ちた毎日だった。
ドイツでの経験は、香月さんのワインに対する考え方を大きく変えた。生産量のみを追求する「心がすり減る」ワイン造りではなく、のどかな幸せが感じられるワイン造りがしたい。
家族や兄弟に囲まれて、日本でワイン造りをするのもよいかもしれない。故郷、日本でのワイン造りを意識した瞬間だった。
▶ニュージーランドに帰還 日本に戻ることを決意
ニュージーランドに戻った香月さんは、ドイツ渡航をすすめてくれた友人に会いに行った。その時、友人からもらったアドバイスが、香月さんの決心を確固たるものにする。
友人からのアドバイスは「違和感を抱えてニュージーランドでワインを造るより、日本で自分のワイン造りをした方がよいのではないか?」というものだった。友人自身も、過去に海外で同様の体験をしたことがあったのだ。
日本で自分のワインを造ることを決めはしたものの、不安もあった。理由は日本の天候だ。高温多湿な日本の気候は、ワイン造りにとって厳しい環境。ワイン用ぶどうの栽培においては、春から秋にかけて降雨がないことが条件だ。
ヨーロッパやカリフォルニアなど、大きなワイン産地はいずれも気候条件を満たしている。だが梅雨から秋雨が続く日本では、春から秋は雨の多い季節に当たる。栽培醸造学の教科書的に考えると、日本でのワイン造りは「ありえない」。
本当に日本でワインが造れるのだろうかと悩む香月さんに、日本でのワイン造りのスタートを後押しする出来事があった。
2006年、香月さんの地元である宮崎に一時帰国した際のこと。宮崎の「都農ワイン」が日本のワイン品評会で金メダルを受賞したのだ。
宮崎は台風の通り道であり、国内でもとりわけ降水量が多い県だ。「宮崎でワイン造りなんて無理だ」と長い間いわれ続けてきたが、結果を出せるワインが造られていることを知ったのである。
「都農ワインさんの受賞が、日本でのワイン造りの可能性を気づかせてくれました」。
自信と期待を持った香月さんは日本に帰国。25歳に日本を出てから10年の時を経て、35歳で自分のワインを造るべく日本に戻ったのだった。
『「香月ワインズ」の誕生と苦難の道を進みながら独自のワインを突き詰める』
帰国した香月さんは、ワイナリー誕生に向けて活動を始める。
しかしワイナリー誕生までも苦難の道は続く。日本でワイン造りを始めてからの、香月さんの歩みを見ていこう。
▶独立に向けて 苗選抜のこだわり
帰国後、日本でのワイン造りの勉強が始まった。ぶどう栽培が難しい宮崎でワインを造るには宮崎のワイナリーで直接学ぶ必要があると考え、都農ワインに就職した。
日本、そして宮崎におけるぶどう栽培の基礎は、都農ワインで学んだ。具体的には、ぶどう栽培の雨対策について。
「レインカット」と呼ばれる方法で、ぶどうを雨から守る必要があるのだ。都農ワインで、宮崎ならではのぶどう栽培の経験を積んだ。
やがて、独立に向けて動き出すことを決意し、都農ワインを退職した。
しかし香月さんには、ぶどうの樹も土地もない。そこで香月さんは、再度ニュージーランドやドイツに渡ることにした。現地でぶどう栽培の手伝いをしながら資金を集めつつ、ぶどう苗の個人輸入を始めたのだ。
「3〜4月はニュージーランドに行き、6月には帰国。そして9月にはドイツに行くという生活でした」。
年に2回海外に出稼ぎに行き、帰国してはぶどう畑を開墾する生活を3年間続けた。
出稼ぎ生活を続ける途中で、両親から畑を譲り受けることができた。香月さんの両親は、宮崎県綾町で生食用ぶどうを栽培していた。
もともと栽培されていた生食用ぶどうを抜き、自分が調達した苗木を植えていく地道な作業を繰り返した。
ところで、どうして香月さんはわざわざ国外でぶどう苗を購入したのだろうか。
その理由を説明したい。
香月さんは、あえて日本での苗の購入を避けていた。理由は、ぶどう苗の「クローン選択」がしたかったからだ。接ぎ木で増殖させるぶどうは、同じ品種でも親となるクローンの型によって微妙に味や特性に差が出る。
ワイン産業が盛んなニュージーランドやヨーロッパ諸国では、ぶどう苗を購入する時には「クローンの型」までを選択することができるのだ。
クローンを選べば、より厳密に自分が求める苗を購入できる。日本に持ち込む際には検疫という手間がかかるが、こだわりを優先し海外でぶどう苗を購入することを選んだのだ。
▶「香月ワインズ」の誕生 完全無農薬のワイン造りと1本1万円のワイン
自分のぶどう畑が完成し、2017年には本収穫を迎えた。7月下旬には、念願のワイナリー「香月ワインズ」も誕生。翌年2月にファーストヴィンテージをリリースする。
香月ワインズのワイン造りの特徴は、完全無農薬で栽培した自社ぶどうを使用し、無添加無濾過でワインを醸造していることだ。
「とてつもない特徴があるワインにしたい、と考えて究極のオーガニックで勝負することを決めました」。
ほかのワイナリーとの差別化を考え抜いた結果選んだ、茨の道だった。
「無農薬無添加」には、想像を越えた困難がある。日本で西洋ぶどうを完全無農薬で育てる農家やワイナリーは少ない。湿度に弱い西洋ぶどうは病気になりやすく、長雨の年には大部分がワインとして利用できないこともあるからだ。
病気が起こるとぶどうの収量も制限されるため、醸造できるワインの本数も少なくなる。ワイナリーとしては将来的に年間1万本の生産を目指しているが、創業当初は1,000本分が精一杯。
ワイン造りを継続するには、ワインの単価を上げざるを得なかった。そのためファーストヴィンテージのワインは、1本1万円で販売した。
1万円という価格設定に、最初は関係者や周囲からの反発も大きかった。しかし香月さんには自信があった。
「自分たちは、年間降水量3000mmという、ぶどうにとって過酷な環境で完全無農薬のワインを造っている。ワイナリーを続けるためには1万円で売る必要がある」。
自分の挑戦や現状の説明を重ねたところ、理解を示してくれる酒屋も現れた。「宮崎で、1本1万円のワインがあるらしい」という噂は、またたく間に広がった。ミシュラン星付きレストランのシェフも、興味津々でワイナリーを訪れた。独自の道を進む香月ワインズの挑戦が、ついに幕を開けたのだ。
▶5年目の危機 自然相手の難しさを感じて
2021年に創業5年目を迎えた香月ワインズ。日本でのワイン造りが軌道に乗ってきたなか、2021年はワイナリー創業以来初の厳しい年になった。
理由は、長雨が続いたこと。九州では5月から梅雨が始まり、7月に梅雨明けしたかと思ったら収穫時期まで連続の雨。
「気がついたら、栽培しているぶどうの半分が腐ってしまっていました」。
創業間もないワイナリーのため、香月ワインズではもともと自社ぶどうだけでは生産量が足りなかった。そこで2020年からは無農薬栽培の地元産ぶどうの買い取りを開始。樹齢20年以上の樹に実った、見事な果実を買い取ることができた。
しかし2021年の長雨による大打撃は、それでもなお、ぶどうが足りない状況となった。
幸いにも、ワイナリーがある綾町は有機農業が盛んな町だ。そのため、高品質な減農薬栽培のぶどうを栽培する地元農家との新たな縁にも恵まれ、減農薬のぶどうを買い取る決断をした。
これまでは、無農薬栽培のぶどうでのワインを軸としてきた香月ワインズ。しかし、減農薬のぶどうを用いたワイン造りも視野に入れたことで、2021年の収量減少にも揺るがない経営基盤が構築でき厳しい年を乗り越えられたのだ。
自社畑のぶどうと地元農家のぶどうは、それぞれ別のブランドとして醸造。購入しやすい価格のペティアン系(気圧が低めの発泡ワイン)のワインを商品ラインナップに加えることで、選択の幅を広げることができた。
「手に取りやすい価格のワインを出して欲しいという要望は、以前からありました。卸先や消費者の希望を叶えられる選択肢を作れたことは、よかったと考えています」。
2021年の天候は自社ぶどうに厳しい結果を残したが、買いぶどうによる新しいラインナップという副産物をもたらした。
今後も無農薬栽培のワインとはブランドを分けて商品を展開していく予定だ。
▶ぶどう生産者への思い 利益を還元し持続可能なぶどう作りを
香月さんには、「契約農家に少しでも多くの利益を還元する」という信念がある。「生食用として市場に卸す価格で原料を買い、農家さんがぶどう栽培を安定して続けられる環境を整えたい」と話す。
原料のぶどうを作る農家がいなくなってしまっては、ワイン産業や加工品産業は立ち行かない。農家が十分な利益を出せるようなシステム作りに貢献していきたいと考えているのだ。
自らもぶどう栽培をしてきたからこそ、生産者に思いを馳せることができるのだ。
「2021年は苦しい年ですが、買いぶどうが調達できてよかったです。生産者も苦労しながらぶどうを作っていますから」。
香月さんの言葉には、農家と自然への強いリスペクトが感じられる。
『「多様性」がテーマのワイン造り 香月ワインズのぶどうとワイン』
続いては、香月ワインズで育てるぶどうとワイン造りについて見ていこう。
香月ワインズならではのワイン哲学を知って、香月ワインズのつくり出す世界を感じてみて欲しい。
▶育てるぶどう品種は40種類 多様性を表現するぶどう達
香月ワインズで造られるワインのテーマは「多様性」。
「多様性」は、香月さんの人生哲学でもある。海外生活の時代にさまざまな国の労働者の中で働いてきた経験から感じていたのが、多様性の素晴らしさや重要性だった。
香月ワインズが多様性を重視していることは、栽培するぶどう品種からも見えてくる。香月ワインズで育てるぶどうは、なんと40品種。まさに「多様性」を表現したかのような数だ。
多様性は、ぶどう栽培においても重要だ。なぜなら自然界において最も大切な要素が「生物の多様性」だからだ。小さな畑という世界の中に、たくさんの生き物が生きていることが健康な畑の証になる。
無農薬栽培では、目には見えない微生物や虫、小動物の力を借りながら栽培を行うからだ。多くの生き物がいてこそ、自然のサイクルが正しく回っていき、健全なぶどうが育つ。
「ぶどう品種も、色々な種類があってよいと思っています。品種が増えれば増えるほど、新しい可能性が広がって面白くなると考えています」。
香月ワインズには、さまざまな個性を持ったぶどうが育つ。それぞれに異なる特徴があり、みな平等に素晴らしい存在だ。
▶香月ワインズの「混醸」 最高のぶどうたちが巻き起こす化学反応をワインにする
香月ワインズの醸造は「混醸」スタイルだ。単一の品種ごとに仕込むのではなく、複数の品種を混ぜ合わせ、一緒に発酵させる。
一本のワインの中に、たくさんのぶどう品種が生きているのだ。
「人はひとりひとり素晴らしい存在ですが、ひとりが完璧な存在ではない。お互いに補い助け合って社会を構成しています。ワインも同じだと思うのです」。
ぶどう品種を合わせることで、単一品種では出せない新しいワインの世界を表現できる。品種同士の化学反応を楽しめることが、香月ワインズのワインの魅力だ。
ブレンドは毎年変わり、固定の配合は存在しない。
不作の年にも個性やよさがある。
香月ワインズで行う醸造は、ぶどうの「よさ」を自然に引き出すためのサポートに徹している。ぶどうが健全に発酵できるよう、温度管理は正確に行う。それ以外は完全にぶどう任せだ。
発酵は野生酵母を利用し、酸化防止剤などは一切使用しない。
「自分たちにできるのは、ぶどうの発酵を待つのみ。どんなワインが生まれるか分からないですし、毎年新しい発見があります」。
「最高のぶどうを育てている」という自負がある香月ワインズだからこそできる、ぶどうの力を信頼した醸造方法だ。
香月ワインズのワインは常識破りなところもあるという。セオリーから外れたブレンドを試すなど、近年ますますエキサイトなワインになっている。
「2021年は難しいヴィンテージだったので、全体を補うようにたくさんの品種を混ぜました。生き抜いたぶどう同士が協力しあってできたワインが、今年のワインです。2021年ヴィンテージならではのよさを楽しんでいただきたいですね」。
▶ワインの価格とブランドへの考え
香月ワインズの年間生産量は、約3,000本。0.5ヘクタールのぶどう畑は、2021年現在も開拓中だ。2022年には1haに拡張を予定している。
収穫量が多くなれば、幅広い価格帯のブランドを展開することができるようになる。
一方で、香月ワインズ「1万円の価値」を感じてくれた飲み手の思いも大切にしたいと考え、1万円ワインは少量生産の限定品としてブランドを継続している。ワインの名前は「Aya L’Orange ・綾ロランジュ」。
ゲヴェルツ・トラミネールやピノ・グリなどのアルザス系品種を混醸で仕込んだ、オレンジワインだ。
オレンジワインとは、果皮ごと醸した白ワインの一種。果皮の色素が溶け込むことにより、ワインの色調がオレンジがかるため「オレンジワイン」と呼ばれる。
毎年約200本のみの限定生産であり、手に入れるのは難しい。例年完売している人気ワインだ。
「ゲヴェルツ・トラミネールでオレンジワインは珍しいと思います。ここまで香りの高いオレンジワインは日本では珍しいと思います」。
▶自然の恵みとしてのワイン エチケットに込められた思い
最後に紹介するのは、香月ワインズのエチケットに込められた思いについて。
エチケットに描かれている「太陽」と「月」は、自然の営みや摂理を表現している。太陽が表すのは自然のエネルギーそのもの。人や植物にとってなくてはならないものの象徴だ。
月は引力で四季を生み出す存在であり、目に見えないところで自然や生き物に影響を及ぼすことをあらわす。
またエチケットをよく見ると、月や太陽は小さなイラストの集合体で描かれている。イラストのひとつひとつは、畑にいる生き物や植物だ。鳥、てんとう虫、ハチ、ぶどうの葉。
ぶどう畑を構成する多様な生物が、太陽や月をかたち作っている。
自然を愛するすべての人に、香月ワインズのワインをおすすめしたい。体の細胞すみずみまで染み渡る、どこまでもピュアなワインだ。
『まとめ』
香月ワインズは、独自のワイン哲学や人生観を表現するワイナリー。
無農薬無添加で醸造されるワインは貴重だ。
香月ワインズの思いに共鳴したなら、ぜひ宮崎の地へワイナリー訪問に出かけてみて欲しい。美しい綾町の風景のなかで、香月ワインズのワインを味わってみたい。
自然に一番近い状態から生まれたワインは、私たちの心と体を暖かな幸せで満たしてくれるに違いない。
基本情報
名称 | 香月ワインズ |
所在地 | 〒880-1302 宮崎県東諸県郡綾町北俣2381 |
アクセス | 飛行機・宮崎空港から車で約1時間。 綾町役場(県道360号)より綾 馬事公苑方面へ車で約10分。 綾 馬事公苑の花時計から徒歩約5分。 |
HP | https://www.katsukiwines.com/ |