北海道上川郡東川町は、北海道のほぼ中央に位置する。国内最大の自然公園「大雪山国立公園」の一部でもある、自然豊かな町だ。
石狩川水系の清浄な水に恵まれ、米作りを中心とした農業が盛んな土地。また、人口8,000人ほどの小さな町でありながら、移住者の受け入れに積極的で、人口が徐々に増加していることでも注目されている。
そんな東川町に、東京のIT企業で活躍していたビジネスマンが移住して立ち上げたワイナリーが、「雪川醸造」だ。
雪川醸造は2021年、ファーストヴィンテージのワイン、「スノー リバー アンスパークリング ロザート 2021」が、コンペティションでの受賞という快挙を成し遂げた。
ワイン業界で活躍する日本の女性が審査員を務める、2014年から開催されている国際的なワインコンペティション「サクラアワード2022」で、なんとゴールドを受賞したのだ。
今回は雪川醸造代表で、東川町地域おこし協力隊・ワインづくり担当の山平哲也さんに、ワイナリー立ち上げまでのストーリーやこれからの展望について、お話を伺った。さっそく紹介していこう。
『移住からワイナリー設立まで』
山平さんが東川町に移住したのは2020年3月末のこと。当時、山平さんは50歳だった。
東京でのIT企業勤務からワイナリー経営に転身とは、非常に大胆な方向転換に思えるが、どのような思いで決断したのだろうか。
「実は特に、思い切って人生を変えようといった考えはありませんでした。しかし近年、いくつになっても働き続けることが求められる社会になってきて、ITの仕事をどこまで続けられるだろうかと改めて考えたのです。そして、ほかにできる仕事はないかと漠然と検討し始めました」。
もともと、移住するなら北海道に住んでみたいと考えていた山平さん。北海道内で移住先を探すうち、東川町在住の知人がいたことから、東川町に関する情報を集め始めた。
食関連に関心があった山平さんは、移住して自分が何をしたいのかについてさまざまな可能性について考えた。そこで思いついたのがワイン醸造だった。かつて旅先でワイナリーを訪れた経験があったことから、仕事としてのワイン造りに関してある程度のイメージを持っていたのだ。
しかも、東川町にはすでに、町が運営するぶどう畑があることを知る。ぶどう栽培の実績があるのなら、町内初となるワイナリーの設立も可能なのではないかと考えた。
▶︎思い立ってから、わずか1年半でワイナリーを開業
東川町でのワイン造りに可能性を見出した山平さん。ワイナリー立ち上げの事業計画を立案し、東川町に提案した。そして、町もその計画を受け入れたのだ。ここから、ワイナリー設立への歩みがスタートする。
畑は条件のよい土地を、町内に借りることができた。もともとは蕎麦を栽培していた畑だったが、蕎麦よりもむしろ果樹を栽培した方が向いていると持ち主が断言する土地だ。
並行して、醸造所の準備も進めていった。 東川町役場を中心として支援を受けたことによって、東川町の中心街の趣ある赤レンガ倉庫を醸造所として利用できることになった。
そして、2021年には雪川醸造がオープンした。醸造エリアは完成したが、ワインの貯蔵庫やワイン以外の食品加工をするエリアは未完成。2022年の仕込みシーズンまでには完成する見込みだ。
東川町でワインを造りたいと思い立って、移住してからワイナリー開業まで、たったの1年半。山平さんの行動力にはなんとも驚かされる。
「長年の夢が実ったというような、歴史のあるストーリーではないのですが」と、穏やかな口調で話してくれた山平さん。元IT企業のビジネスマンらしいロジカルさとすぐれた実行力こそが、山平さんの持ち味なのだ。
▶︎ギリギリのスケジュールをクリア
もちろん、ワイナリーのオープンまでにはさまざまな苦労があった。
2021年の夏には、ワイナリーの醸造エリアの工事が完了した。しかし、醸造用機器の搬入までが困難を極めたのだ。
フランスのメーカーから醸造機器を取り寄せることにした雪川醸造。商品は納品までに6か月かかる予定だったため、納期から逆算して半年前には注文を完了しなければならない。だが、購入のための補助金の申請手続きが終わるまでは注文ができず、やきもきする日々が続いた。
「2021年ヴィンテージの醸造スケジュールに、機器の納品がぎりぎりで間に合いそうだというタイミングでなんとか発注を済ませることができました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、世界的に物流に遅れが出ていた時期だったのです。本来は船便で搬送する品物ですが、メーカーさんと商社さんのご配慮により一部を空輸していただき、なんとか間に合わせることができました」。
醸造機器が届いたのは、なんと、ぶどうの収穫のたった数日前のこと。
しかし醸造機器は、届いてすぐに使用できるわけではない。タンクにどのくらいのワインが入るのかを醸造前に計測し、書類を作成して税務署に報告する義務がある。また、すべての機器や設備がそろった状態で保健所の検査を受ける必要もあった。
信じられないほどの過密なスケジュールをなんとかクリアし、無事に2021年ヴィンテージが仕込めたことは、まるで奇跡だと話してくれた山平さん。しかも、仕上がったファーストヴィンテージのワインがコンクールで賞を受賞したというのだから、さらに驚きだ。
『北海道ならではのぶどう作り』
続いては、雪川醸造が自社畑で栽培しているぶどう品種を紹介しよう。
本州とは気候が異なる北海道で、どんな品種が栽培されているのかが気になるところだ。
▶︎冷涼な気候に合う栽培品種
白ワイン用品種は以下だ。
- ソーヴィニヨン・ブラン
- シャルドネ
- ピノ・グリ
- ピノ・ブラン
- ミュラー・トゥルガウ
- バッカス
また、2022年にはゲヴュルツトラミネールも植栽した。
一方、赤ワイン用品種は以下の2種類。
- ピノ・ノワール
- ツヴァイゲルト
雪川醸造で栽培されている品種は、どれも冷涼な地域での栽培に適し、北海道ですでに実績をあげているものがメインだ。
「収穫時期が分散するように品種選定をしました。もっとも早い収穫はミュラー・トゥルガウとバッカスで、9月中旬頃です。北海道としては早めの収穫ですね」。
数年後に収穫できるようになれば、収穫時期は10月後半までかかると見込まれる。収穫時期を分散させることで、収穫や仕込みの負荷を減らす方針だ。雪川醸造のぶどうの若樹が元気に育っていくのを楽しみに待ちたい。
ちなみに、2021年ヴィンテージの雪川醸造のワインは、東川町内のぶどう畑で栽培されたぶどうを購入して使用した。町内の畑で栽培されるのはハイブリットと呼ばれる交配品種がメインで、そのうち95%以上を占める品種は、「セイベル13053」。北海道ではメジャーな赤ワイン用品種で、耐寒性が強く、病害虫にも耐性があるとされる早生品種だ。
▶︎水はけに優れた土壌
続いては、雪川醸造の自社畑の土壌について見ていきたい。
東川町は北海道では最も大きな盆地である上川盆地に位置し、2,000m級の山々が連なる大雪山系がそびえる。
山裾に位置する雪川醸造の自社畑は約3ha。土壌は主に黒ボク土だ。黒ボク土は典型的な火山灰土で、自社畑には、礫も多く含まれているのが特徴だ。
「ぶどうを植える前に、畑の3か所をそれぞれ1.5mほど掘り、土壌分析をおこないました。下層部には硬い地層がなく、比較的水はけがよい土地であることがわかりました」。
また、雨量による影響が大きいぶどう栽培だが、北海道は本州に比べて雨量が少ないため、ぶどう栽培に向いている気候だとされている。東川町の雨量が気になるところだ。山平さんは移住前に、アメダスのデータを過去20年分調べたそうだ。すると、東川町の年間降水量は800mm程度と少ないことがわかった。
そのため、雪川醸造の自社畑では、ぶどう畑の雨対策はあまり必要ない。北海道は雨の影響を受けにくいため、ぶどう栽培におけるアドバンテージが高いことがわかるだろう。
▶︎雪どけ水への対策
ただし、東川町におけるぶどう栽培では、積雪地帯特有の水対策が必要だ。北海道では積雪があるため、3~5月くらいまでは雪どけ水が畑に流れ込んでくる恐れがある。そのため、春先に土壌の水分量が多くなり、ぶどうがなにかしらの影響を受けることが予想されるのだ。
山平さんが対策として実施を検討しているのは、斜面にある畑の上部に、排水用の暗渠や明渠を設けることだ。
「斜面の上に溝を掘れば、水が横方向に逃げていくので畑に水が入るのを防ぐことができます。実現すれば、さらにぶどう栽培に適した環境が整いますよ」。
▶︎ぶどうを凍害から守る雪
東川町の積雪量は、北海道内では決して多い方ではない。しかし、冬の気温が低い札幌以北の北海道全域において、ぶどう畑の冬季対策は必須だ。気温がマイナス20℃を下回ると、ぶどうの樹の細胞は凍害により死んでしまう。札幌から北東に160kmに位置する雪川醸造では、どのような対策をおこなっているのだろうか。
「自社畑では垣根栽培をしていますが、北海道の垣根は、本州とは樹の仕立て方が異なります」。
積雪地帯を除く、本州の大部分の地域では、ぶどうの樹は地面に対して垂直に植えられるのが一般的だ。一方、北海道では斜めに樹を倒した状態で植樹する。春から秋にかけての生育期には、ワイヤーに短梢栽培の主枝を結びつけて栽培管理をしやすくするのだ。
そして、収穫が終わってから結びつけたヒモを外すと、地面に対して斜めに植えられた樹は、ふたたび重心が低くなる。その後、雪が降る前に剪定をおこなうと、地面と樹がさらに近くなるというわけだ。
本格的な冬が訪れて積雪が始まると、斜めに倒れた樹の上に雪が積もる。30cm以上の積雪にすっぽりと包まれた樹は、マイナス5℃程度に保たれたままで休眠期を迎えて無事に越冬するのだ。不思議なようだが、雪があることでぶどうの樹を寒さから守るわけだ。
もちろん、雪の重みで樹がダメージを受けることもあり、北海道のぶどうの樹の寿命は総じてあまり長くない。しかし、低温で積雪の多い北海道ならではの栽培方法の工夫により、健全なぶどうが栽培されるのだ。
▶︎健全なぶどうを安定して作る
山平さんにぶどう栽培のこだわりを伺うと、始めてまだ、たった1年ですから、と前置きした上で、次のように答えてくれた。
「ぶどうは日光を浴びて、土が持っている水分を吸収します。そして光合成をして糖分を蓄え、自分の力で育ってくれます。ですから、人間があれこれと手を出せることは多くありません。ただ、健全なぶどうをきちんと作ることは大切にしたいです。ぶどうが持つポテンシャル以上のワインはなかなかできませんから。また、できたワインをいろいろな方に毎年楽しんでいただけるように、気候条件などで年ごとの収穫量がブレるのは避けたいと思っています」。
気候変動の影響で、多雨や気温の変化に見舞われることが増えてきた。例えば北海道でも、6月に急な冷え込みに襲われて霜が降り、樹がすべて枯れてしまうことも起こりうるのだ。
健全なぶどうにとってマイナスとなる要因は出来る限り取り除き、あとはぶどうの持つ力を信じ、見守っていくこと。それこそが、ぶどうがそれぞれの土地の自然環境で健全に育っていくために最善の道なのだろう。
『雪川醸造のワイン造り』
雪川醸造では、日本の普段の食卓で楽しむことができるワイン造りを目指している。
雪川醸造のワイン造りのこだわりを見ていこう。
▶︎酵母の特性を生かして複雑な味を引き出す
「和食に合い、食事のおいしさを引き立ててくれる味わいのワインを提供したいと思っています。クリアなワインに仕上がるように心がけていますね。亜硫酸塩と培養酵母など必要最低限の添加物は使用しますが、その条件の中でより美味しくするための方法を模索したいと考えています」。
山平さんが注目しているのは、培養酵母の種類ごとの特性だ。
「果汁がアルコール飲料に変化するのは、酵母が働くからです。酵母は生き物ですから、観察しているとそれぞれの『得手』『不得手』があるんです。2021年に仕込んだワインは、異なる酵母で別々に仕込んだワインをブレンドして、複雑味のある味わいに仕上げました」。
酵母は種類によって、特定の香りや成分を生成しやすいなどの特徴がある。そのため、雪川醸造では異なる酵母を使用して醸造し、最終的にブレンドすることによって単体の酵母だけでは表現できない奥行きを造り出したのだ。
▶︎「スノー リバー アンスパークリング ロザート 2021」のペアリング
ファーストヴィンテージにもかかわらず、「サクラアワード2022」でゴールドを受賞した、「スノー リバー アンスパークリング ロザート 2021」。おすすめのペアリングを、山平さんに伺った。
「メインで使用したぶどうのセイベル13053は、赤い果実系の香りがあり、ほんのりと甘い風味が特徴です。あっさりとした和食はもちろん、サーモンで塩味を効かせたフルーツサラダや、洋食だとクリームシチューなどに合うと思います」。
ぜひ、『スノー リバー アンスパークリング ロザート 2021』に爽やかなサラダやまろやかなシチューを合わせ、素敵な食卓を演出してみたいものだ。
▶︎東川町にあること自体が強み
雪川醸造のワイナリーとしての強みについて伺うと、ワイナリーが「東川町」という町にあることだと話してくれた山平さん。
「北海道だけでなく、日本全国の地方自治体で人口減少が問題となっていますよね。しかし、東川町は移住者が多いんです。過去20年くらいずっと人口が増えています」。
移住したその次の年にはワイナリーを立ち上げ、ワインが醸造できてしまうというスピード感は、自治体のさまざまな支援があってこそ。東川町は地方創生の取り組みにも積極的な自治体なのだ。
もちろん、東川町の魅力は移住者に協力的であることだけにとどまらない。大雪山系の山々に囲まれ、自然環境にも非常に恵まれているのだ。
「個人的には、うちの畑のある上川盆地の環境はぶどう作りに向いていると思っています。東川町や近隣にはほかにもぶどうを栽培している方がいらっしゃるので、これからさらにワイナリーが増えることもあるかもしれませんね」。
移住者を積極的に迎え入れる風通しのよさと、恵まれた自然環境を持つ東川町にあるという強みを、これから先どれだけ生かせるかは、雪川醸造の大きな課題でもある。
『まとめ』
創業間もないワイナリーである雪川醸造だが、これからの発展が目覚ましいものになることは、容易に想像できる。
「まずは畑作りに注力しなければならない段階です。自社栽培のぶどうをきちんと作り、ワインを造ることをしっかりとやっていこうと思っています」。
また、山平さんはワイン造りに興味がある人たちからの委託醸造を受け入れることも視野に入れている。さらに、気軽にワイン造りに参加してもらえる仕組みづくりの構想も持つ。どうやってワインを造っているのかに興味を持ってくれる人が増えてほしいと話してくれた山平さん。
定住者や観光客ではなく、ある地域に多様に関わっている人々の数を、「関係人口」と呼ぶ。東川町は関係人口が多く、山平さんはその点にも大きな可能性を感じている。
「せっかく東川のような先進的な取り組みをしている自治体にいるのですから、活用しない手はないと思っています。最近だと東川町内に、建築家の隈研吾氏が設計した建物を使って、外部から来た人と町の人が一緒に仕事をしたりアイディアを出したりするような空間をつくる計画があります。雪川醸造でも、町内にとどまらず、町外の人との交流もできる場をつくりたいと思っています」。
北海道の真ん中の小さな町、東川町の第一号ワイナリーである雪川醸造。今後、さらに注目を集めるワイナリーに成長することだろう。期待は膨らむばかりだ。
基本情報
名称 | 雪川醸造 |
所在地 | 〒071-1423 北海道上川郡東川町東町2-1-6 |
アクセス | 車:旭川北ICから30分、旭川鷹栖IC40分程度 |
URL | https://www.snowriverwines.com/ |