今回紹介するのは、長野県大町市にある「ノーザンアルプスヴィンヤード」。スイミングスクールのインストラクターやプログラマーなど、さまざまな分野で活躍した経歴を持つ若林政起さんが経営するワイナリーだ。
大町市で農業を営む両親のもとで育ち、ソムリエをいとこに持つ若林さんにとって、農業やワインに関わることはごく自然なことだった。だが実際には、ぶどう栽培とワイン醸造を始めるまでの道のりは決して平坦ではなかったという。
実際にワイン造りに携わるようになってからの12年間にも多くの困難に見舞われたが、試行錯誤を繰り返す中でますますワインへの思いを強くしてきたからこそ、今のノーザンアルプスヴィンヤードがある。
若林さんがぶどう栽培とワイン造りを始めることになるまでの物語と、ワイナリーがたどってきた軌跡を振り返ってみたい。ノーザンアルプスヴィンヤードのぶどう栽培とワイン造りにおけるこだわりや、未来への展望について伺ったので紹介していこう。
『ワインとの出会いからワイナリー設立まで』
若い頃から、農業やワインが身近にある環境だったと振り返る若林さん。実家は長野県のりんご農家で、叔父はワイン用ぶどうを栽培していた。また、銀座の「Restaurant ESqUISSE(レストラン エスキス)」の支配人兼シェフソムリエとして活躍する若林英司さんとは、いとこ同士。ワインに触れる機会が多かったのも自然なことだろう。
昔からワインに興味はあったものの、若林さんが実際にワイン造りの道に入ったのは、社会人としてさまざまな経験をしてからのこと。国体出場も果たした競泳選手としての経歴を生かし、20代前半はスイミングスクールのインストラクターとして働き、その後はプログラマーとしてIT業界で活躍していた。
▶︎地元でのぶどう栽培をスタート
若林さんに転機が訪れたのは、2007年のこと。ワイン用ぶどうの栽培農家である叔父から、ぶどう栽培をしないかと持ちかけられたのだ。叔父の言葉で、若林さんの中に眠っていたワインへの熱い思いが呼び覚まされた。
ちょうどその頃、父が農業を辞めて土地を手放す計画があったため、畑を譲り受けてぶどう栽培を始めることを決めたという。実は、20代の頃にも就農する意思があることを父に告げたことがあったが、当時は就農を反対されたために諦めた。だが、夢を諦めきれない気持ちは、ずっとどこかにあったのだという。
若林さんが父から引き継いだ農地は、かつてのりんご畑から田んぼに作り替えられていた。そのため、まずは田んぼをぶどう畑へと転換するところから始めなければならなかった。また、畑の転換作業と並行して、少しずつぶどうの苗の植え付けも開始した。
「叔父に教わりながら、ワイン用のぶどうを植え始めました。しかし、全てを詳しく教えてもらったわけではないので、うまくいかなくて植えた苗が全部枯れてしまったこともありました。そこで、地元のワイナリーで働いて、ぶどう栽培とワイン造りについての知識を実戦で身につけることにしたのです」。
畑作りとワイナリーでの修行、そして自身のぶどう栽培という多くのやるべきことを抱えながら、若林さんのワイン造りへの道は始まった。

▶︎主体的に行動して知識を付ける
ワイナリーでの仕事は、タンク洗いや瓶詰めといったアシスタント的な業務が中心で、本格的なワイン造りに関する技術を教えてもらえる機会はほとんどなかったそうだ。そのため、現場でおこなわれている作業を観察して技術を身につけていった。
また、栽培と醸造に関する専門的な知識は、書籍を頼りに独学で補った。当時は日本語で書かれたワイン造りに関する書籍はまだ少なく、詳しい情報を得るには外国語の文献に頼らざるを得なかった。そこで、洋書を買って自動翻訳を使いながら読み解いたという。
「エンジニア時代も海外の文献を手探りで調べながら仕事を進めることが多かったので、自ら情報を集めて理解を深めていくという力がとても役立ちました」。

『ノーザンアルプスヴィンヤードのぶどう栽培とワイン醸造』
ノーザンアルプスヴィンヤードのぶどう畑は標高約770m、北アルプスの麓に位置する長野県大町市にある。自社畑は約3haで、メルローとシャルドネ、ピノ・ノワールなどを栽培している。
また、2024年春には、ソーヴィニヨン・ブランやカベルネ・フランなど、新たな品種を追加で植栽。中でもカベルネ・フランは病気に強い品種のため、今後のノーザンアルプスヴィンヤードを支える重要な品種として期待している。
ノーザンアルプスヴィンヤードの自社畑の様子や、ぶどう栽培におけるこだわりに迫っていこう。
▶︎自社畑の土壌と気候
自社畑があるのは、北アルプスの裾野に広がる複合扇状地。かつては河原だったところに土を盛り、畑が作られたという歴史を持つ土地だ。表層の30〜40cm程度は作土として活用されているが、すぐ下の層には河原特有の丸い石や砂が堆積している。父から引き継いだ土地をぶどう畑に造成していく中で、土壌の特徴をよく把握することができたそうだ。
「表土を30cmほど掘ってみると、小石や砂が出て来ました。水はけがよすぎる土壌なので、よく田んぼをやっていたなと感じたほどです。この土地のポテンシャルは、ぶどう栽培をすることでより引き出すことができると思っています」。
大町市の気候は内陸性気候で、気温の変化が大きいのが特徴だ。過去10年間の平均気温は9.2〜10.5℃ほど。夏は涼しく、冬は厳しい寒さと雪に覆われる。激しい気温差があることでぶどうの糖度が高くなり、香り豊かな実を育むのだ。
また、畑には北アルプスの山々から吹き下ろす風が通り抜けていく。常に風が吹くことで湿気がこもりにくく、ぶどうの病害リスクを軽減している。だが、長野県内の他のワイン用ぶどう栽培地と比較すると降水量が多いため、雨に弱い傾向があるシャルドネやピノ・ノワールにはレインカットの使用が欠かせない。

▶︎「守破離(しゅはり)」の精神を大切に
ノーザンアルプスヴィンヤードでは、若林さんがひとりで作業をおこなっている。つまりワインには、若林さんの好みと生き方そのものが反映されるのだ。
「赤ワインは、フランス・ボルドー地方、サン=テミリオンにあるシャトーのワインが理想です。白ワインは、いわゆる『樽ドネ』と呼ばれる、樽熟成したシャルドネを極めたいと思っています」。
ワインの仕上がりに自分の精神状態があらわれることが、ひとりでワイン造りをしているメリットでもあり、デメリットであるという若林さん。目指すのは、価値の高いワインよりも、人に喜んでもらえるワインを造ること。人の気持ちに寄り添うワインを造るのが目標だ。
若林さんがワイン造りで大切にしているのは、日本古来の教えである「守破離(しゅはり)」の精神だという。守破離とは、まず伝統の型を忠実に守って習得してから型を破り、最後には自分の流儀を確立するという考え方のこと。
「何事においても、まずは基本をしっかり守ることが大切だと考えています。そのため、ぶどう栽培においても、はじめは慣行農法を忠実に実践しました」。
また、醸造方法についても、さまざまなものを試してきた。自然派的なアプローチを試したり、アメリカ流の綿密な分析を取り入れたりと、多様な手法を模索してきたという。
「醸造においては自分の感覚を磨くことが大切ですが、感覚をしっかりと養うためには、数値による分析も欠かせません。例えば、酸っぱいと感じた時には、自分の感覚を数値化して把握します。初めはあいまいでも、数値の確認を繰り返しおこなうことで、自分の感覚を信じることができるようになりました」。

▶︎ナチュラルワインへの挑戦
若林さんがワイン造りを始めた当初から興味を抱いていたのが、ナチュラルワインの存在だ。だが、日本の高温多湿な環境で農薬に頼らないぶどう栽培をおこなうのは、大きなリスクを抱えることでもある。
当初は慣行農法での栽培をおこなっていたが、ワイン造りを始めて6年目である2018年に、満を持して本格的なナチュラルワイン造りに挑戦することにした若林さん。だが、いきなり大きな困難にぶち当たってしまった。自社畑に晩腐病が発生し、ぶどうがほぼ全滅する事態に陥ったのだ。
晩腐病とは、ぶどうの果実に黒い斑点が現れ、進行すると実が干からびてしまう病気だ。着色初期の実を中心に被害が広がり、被害が出た実は醸造に使えないため落とすしかない。被害が大きければ大きいほど収量が減るため、醸造量の減少にも直結する。
さらに追い打ちをかけるように、コロナ禍が到来。個人経営の小規模ワイナリーとしてワイン造りを続けるには厳しい局面を迎えることとなった。
ぶどうが全滅した影響と新型コロナの爪痕は現在も癒えてはおらず、経営立て直しへの挑戦は続いている。だが、若林さんはナチュラルワインへの夢を諦めていない。できることをひとつずつ地道に積み重ね、再び挑戦できる道を模索しているところだという。
▶︎ゆるやかに自然農法に移行
ノーザンアルプスヴィンヤードは、自然農法への取り組みを今後も継続していくつもりだ。
「ゆくゆくは自然農法に近い形でやっていけたらと思っていますが、レインガードを導入したり、残留農薬の問題を解決したりと、物理的な畑の改良が引き続き必要です。そのため、完全に移行するには10年以上かかると考えています」。
現状はナチュラルワインや自然派ワインを名乗れる段階ではないものの、小さな区画で試験的な取り組みを進めているところだ。化学肥料や殺虫剤を使わない栽培方法は既に確立し、石灰を使った土壌改良にも取り組んでいる。
また、醸造工程では、亜硫酸の使用量を減らす取り組みもおこなっている最中だ。ポリフェノールが豊富な品種であれば、赤ワインの亜硫酸を最小限に抑えることができるようになった。
品種やワインの特性を理解し、それぞれに最適な方法を選択する。単に自然農法を模倣するのではなく、科学的根拠に基づいてバランスを追求し、いかにナチュラルな製法を実現するかが若林さんの挑戦だ。
「ナチュラルワインを造っているワイナリーは多いですが、具体的にどうやっているのかは誰も教えてくれません。自分で実験しながら、少しずつやり方を見つけていくしかないので、引き続き試行錯誤していくつもりです」。

▶︎ぶどうのポテンシャルを引き出す醸造
ワイン造りを始めて12年。さまざまな知識を付けて経験を積んできた若林さん。オリジナルの醸造方法も確立しつつある。
「一般的な醸造手法では除梗破砕機でぶどうを潰してから仕込みますが、『カーボニック・マセレーション』という方法を試してみたら、香りが非常によかったので採用しています」。
カーボニック・マセレーションとは、主にボジョレー・ヌーボーで採用される手法だ。房のままのぶどうをタンクに入れて炭酸ガスを充填することで、細胞内発酵を促して果皮の組織を壊して色素や風味を早く抽出する。フルーティーな香りを引き出すことができるのが特徴だが、カーボニック・マセレーションには課題もある。赤ワイン特有の鮮やかな色を抽出しにくいのだ。
そこで若林さんは、タンクへのぶどうの入れ方を変えてみることにした。まずタンクの半分まで除梗破砕したぶどうを入れ、上半分には房のままのぶどうを入れてから炭酸ガスを注入する。タンク上部がカーボニック・マセレーションしている状態になり、下部は通常の発酵が進むという二層構造だ。その状態で1週間寝かせたところ、色合い豊かな赤ワインが出来上がった。
個性的な手法で造られたワインは高い評価を受けているため、今後はさらなる改良にも意欲を見せる。

『ノーザンアルプスヴィンヤードのおすすめ銘柄』
自身のワインを「食卓に飾る花のような存在」として、多くの人に楽しんでもらいたいと考えている若林さん。
ノーザンアルプスヴィンヤードではすでに、シャルドネをはじめとしたさまざまな品種のワインをリリースしてきたが、2024年に新たに植え付けた苗が育てば、今後はさらに豊かなラインナップが展開されることになる。特に、爽やかでスッキリとした味わいのソーヴィニヨン・ブランは、既存のラインナップに新しい風を吹き込むだろうと期待している品種だ。
ここでは、ノーザンアルプスヴィンヤードからリリース済みの銘柄のうち、おすすめのワインを紹介していただいた。
▶︎「プライベート・リザーブ・シャルドネ」
ノーザンアルプスヴィンヤードを代表する品種のシャルドネだが、実は自社畑のシャルドネは、若林さんが想定していたイメージとは異なる味わいに育っているそうだ。
「最初はシャブリのような味わいのシャルドネのワインを造ることをイメージしていました。ステンレスタンクで造る、キリッとしたシャープな味わいのワインを造りたかったのです。しかし、出来上がったシャルドネのワインを試飲してみると、南国フルーツを思わせるフルーティーで豊かな果実味が出たことにに驚いてしまいました」。
フルーティーなシャルドネになったのは、植栽したシャルドネのクローンが持つ特性だったという。予想外の風味を生かすため、考えた末に新しい樽を使って樽香をふんだんに付けた「樽ドネ」を造ることにした。樽香に負けない果実味が感じられる「プライベート・リザーブ・シャルドネ」は、今ではノーザンアルプスヴィンヤードのフラッグシップともいえる人気の銘柄だ。
「華やかな果実味と樽香のバランスが絶妙な『プライベート・リザーブ・シャルドネ』は、さらに熟成することで進化するポテンシャルを秘めています。早めに購入いただいて、自宅のセラーで3年ほど寝かせてから飲むのがおすすめです」。
風味豊かな「プライベート・リザーブ・シャルドネ」は幅広い料理とのペアリングが可能だが、中でも、和食やクリーム系ソース、豚肉との相性は抜群だ。若林さんのいとこであるソムリエの若林英司さんも絶賛する「プライベート・リザーブ・シャルドネ」は、銀座の「Restaurant ESqUISSE(レストラン エスキス)」でも楽しむことができる。

▶︎「エチュード」
カベルネ・フランを使った赤ワイン「エチュード」も、若林さんこだわりの1本である。カベルネ・フラン50%、メルロー50%の混醸で1年間樽熟成。心地よい果実味と酸味があり、柔らかなタンニンとしなやかな舌触りが魅力だ。
ゆっくりと過ごすひと時のお供にぴったりの「エチュード」には、長期熟成させたバージョンもあるそうだ。24か月熟成と36か月熟成の「エチュード」は、カベルネ・フラン特有の青い香りが抜けて、さらにまろやかでバランスのよい味わいになる。深みのある味わいのワインが好みの場合には、長期熟成タイプをお試しいただきたい。
アルコール度数が12%と低めのため、和食や繊細な味付けの料理ともよく合い、トマト系のイタリアンとも相性がよい。

『まとめ』
ワイナリーの未来を見据えながら、さまざまな挑戦を続ける若林さん。バーベキューやメーカーズ・ディナーなど、訪れる人々が楽しめるイベントへの参加や開催にも積極的だ。
ノーザンアルプスヴィンヤードとして今後取り組んでみたいことは、地域や訪れる人々とのつながりを深める活動だ。目指すのは、単にワイン製造をしている場所というわけではなく、人々が集って交流できる「コミュニティ」としても機能するワイナリー。
「これまではオンラインや首都圏の販売がメインでしたが、今後は地元の方にもノーザンアルプスヴィンヤードのワインを飲んでいただきたいと考えています。コミュニケーションを大切にして、アットホームなワイナリーを目指していきたいですね。ワイン会などのイベントも頻繁に開催して、気軽に立ち寄っていただける場所にするつもりです」。
地元の人たちやワイナリーを訪れてくれるお客様との繋がりを大切にして、地元に愛されるあたたかい場所を作りたいと願う若林さん。
ワイナリーに直接足を運んで、ノーザンアルプスヴィンヤードの魅力がたっぷり詰まったワインを現地で楽しんでみてはいかがだろうか。

基本情報
名称 | ノーザンアルプスヴィンヤード |
所在地 | 〒398-0002 長野県大町市大字大町5829-12 |
アクセス | https://maps.app.goo.gl/R8VjCE6HYXQux6FZ9 |
HP | https://navineyards.lolipop.jp/ |