千葉県山武郡九十九里町にある「九十九里ワイナリー」は、「魚介のお料理や海のシーンに似合うワイン」というコンセプトでワインを造るワイナリーだ。
2023年までは委託醸造だったが、2024年には自社醸造を開始。代表を務める鈴木麻美さんは、故郷である九十九里に新たな産業を生み出すべく、可能な限り自然な形でのぶどう栽培とワイン醸造に取り組んでいる。
今回は、九十九里ワイナリー設立までの経緯と、どのような栽培・醸造をおこなっているのかについて、鈴木さんに詳しくお話いただいた。鈴木さんの朗らかな口調からは、ワイン造りを心から楽しんでいる様子が伝わってくる。さっそく紹介していこう。
『九十九里ワイナリーができるまで』
まず最初に、鈴木さんがぶどう栽培とワイン醸造を始めることになったきっかけから振り返りたい。都内で働いていたという鈴木さんがワイン造りの道に入るまでには、どのような出来事があったのだろうか。
また、故郷にワイナリーを設立しようと考えた背景などについても、あわせて触れていく。
▶︎地元に人が集まる場所を
鈴木さんが生まれ育った土地である九十九里町は、千葉県東部にある町だ。太平洋沿岸に面した日本列島最大級の砂浜海岸である「九十九里浜」の南部に位置し、イワシ漁が盛んな漁業の町として栄えてきた歴史を持つ。
東日本大震災の後頃から、帰郷するたびに九十九里町がだんだんと寂しくなってきたという印象を持ったという鈴木さん。
「故郷の様子を見るたびに賑わいが減るのを感じていました。そこで、いずれは地元に戻って町に活気を戻すための事業をはじめて、人が集まる場所を作りたいと考えたのです」。
知り合いが山梨でワイナリーを始めると耳にしたのは、ちょうどその頃のことだった。どんな事業を手がけるにしても、起業の方法を学んでおいて損はないと考えた。そこで、ワイナリー設立前から手伝いのために山梨を足繁く訪れ、栽培と醸造にも関わるようになったという。
鈴木さんが手伝っていたのは、山梨県南アルプス市にあるワイナリー「ドメーヌヒデ」だ。ドメーヌヒデがスタートした後に、ワイン好きの人たちがどんどん集まってくる様子を見て、ワイナリーという事業形態そのものにも魅力を感じ始めた。
「もともと自分でワイナリーを始めるという構想があったわけではないのですが、ワイナリーなら年間を通じて九十九里に人を呼ぶことができると考えました。また、ぶどう栽培も楽しくなったので、自分が事業をするならワイナリーしかないと思うようになりましたね」。
九十九里は海の町なので、夏には大勢の観光客が集まるが、秋以降にはがらんとしてしまう。その点、ワイナリーなら、夏以外の季節にも足を運んでもらえる場所になるだろう。また、人が減ってしまった町で新たな事業をスタートさせれば、雇用創出も可能なのではないかと考えたのだ。

▶︎九十九里町で︎8品種を栽培
九十九里でのぶどう栽培とワイン醸造を志した鈴木さんは、2017年に実家の畑で試験栽培を開始した。植え付けたのはマスカット・ベーリーA、メルロー、甲州、シャルドネの4品種、各100本だ。
「せっかく日本でぶどうを育てるなら、固有品種も手がけてみたいと考えました。マスカット・ベーリーAは山梨で栽培した経験があったので選んだ品種です。また、シャルドネは自分が好きな品種で、メルローは日本でも馴染みがあるため、栽培することにしました」。
土地に合う品種を見つけるために複数品種を植えたところ、当初は全てうまく育ってくれた。そこで、2018年には実家の畑に隣接する耕作放棄地を開墾し、本格的にぶどう栽培をスタート。同じ4品種を追加で400本植栽したのだ。
マスカット・ベーリーAは非常に順調に育ち、メルローとシャルドネは成長がゆっくりだったものの、生育には問題なかった。だが1年ほどたった頃、甲州だけは土地に合わなかったのか、ほとんどが枯れてしまったという。
2019年にはさらに、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、アルバリーニョ、山梨県南アルプス市で生まれた品種である「マシュマロネーロ」の栽培を開始。2025年現在、約1haの自社畑で合計8品種を栽培している。
ちなみに、「マシュマロネーロ」とは、南アルプス市の農家が品種改良した生食用品種で、味わいは「薄味の巨峰」のようなイメージだという。鈴木さんの修行先であるドメーヌヒデで飲んだ「マシュマロネーロ」のワインが美味しかったため、九十九里でも栽培することにした。ドメーヌヒデと、ドメーヌヒデ代表の渋谷さんの弟子たちだけが栽培する、珍しい品種である。

『九十九里ワイナリーのぶどう栽培』
続いては、九十九里ワイナリーの自社畑の土壌と、周辺の気候の様子などを紹介していこう。海に近い土地の特徴と、どんなぶどうが育つのかについて深掘りしていきたい。
さらに、ぶどう栽培における工夫についてもお話いただいたので、こだわりポイントなどを見ていこう。
▶︎波の音が聞こえる自社畑
自社畑は耕作放棄地だった土地で、以前は牧草を育てていたこともあるそうだ。海岸からは1〜2kmほどの距離にあり、砂質土壌のため水はけはよいが、保肥力は全くない。少し掘ると砂浜のように水が染み出してくるそうだ。そのため、ぶどうが育つかどうかをまず試すところからスタートしたのだ。
自社畑は海からの風が常に吹き抜ける場所にあるため、雨が降った後なども水滴の乾きはよい。しかし、海風には湿気が含まれるため、九十九里ワイナリーのぶどう栽培は、常に湿気やカビ系の病気との戦いだ。
「減農薬を目指しているため、薬剤は最低限の使用に抑えています。天候と相談しながらの栽培管理ですが、湿気がある土地柄なので難しいと感じることも多いですね」。
畑から海は目視できないが、耳をすませば波の音が聞こえる。波の音をいつも聞きながら育つぶどうは、穏やかな性質に育ちそうだ。
九十九里町は農家が多い地域だが、鈴木さん以外にぶどうを栽培している農家は1軒のみ。シャインマスカットや「藤稔(ふじみのり)」という生食用品種を栽培している。だが、九十九里町では庭先で自家用ぶどうを植えていることが多く、鈴木さんの自宅にも巨峰の樹がある。そのため、ぶどうはもともと馴染みのある植物だったという。
「隣の東金市が生食用ぶどうの産地ということもあり、九十九里町でも美味しいぶどうを育てることはできると思っています。ぶどうは強い植物ですので、今後は九十九里町で栽培する人が増えたら嬉しいですね」。

▶︎循環型農業を推進
鈴木さんが目指すのは、できるだけ化学農薬の力に頼らず、自然の力で育てること。気候と土壌の条件を考えた時に無農薬では難しいため、減農薬での栽培管理をおこなっている。
具体的な取り組みとしては、葉の状態をしっかりと観察することや、殺菌剤だけはしっかりと使うことなどが挙げられる。湿気による病害虫の蔓延を防ぐ目的だ。
「コガネムシが多いので、あえて除葉する数を減らして、虫にある程度食べられても光合成に問題がないように対策しています。もちろん、樹や房にダメージが出たら薬剤を使うこともありますが、できるだけ使わない方針で対応しています」。
草生栽培を導入しているため、除草剤も使わない。さらに、剪定枝を炭にして畑に撒くという取り組みもおこなっている。砂質土壌からミネラル分の供給は難しいことから、クローバーを植えて窒素分を補ったり、葉に散布するタイプの液肥の力も借りたりする。土壌の栄養バランスをよくするための施策である。
「基本に忠実な栽培管理することを心がけています。また、2024年には新たな取り組みとして、仕込んだぶどうが発酵した後の醪(もろみ)を発酵させて肥料を作りました。2025年は肥料を作る量を増やして、循環型農業をさらに推進していきたいですね」。

▶︎雨対策を徹底し、健全なぶどうを作る
ぶどう栽培をする上では、雨対策も欠かせない。九十九里ワイナリーの自社畑は全て垣根栽培で、雨の影響を最小限に抑えることに力を入れている。
「雨対策としては、レインガードと傘かけをおこなっています。以前は、房ひとつひとつに袋を被せる「袋かけ」もしていたのですが、袋の中が湿気で蒸した状態になってしまうことがわかったのでやめました。さすがにやりすぎだったため、今はレインガードと傘かけで雨対策をしています」。
千葉県は冬は暖かく夏は涼しい傾向にある。雨は全国平均と同程度のため、ぶどうの生育期には念入りな雨対策が欠かせない。だが実際のところ、局地的に見ると、自社畑周辺は意外と雨が少ないと感じることもあるそうだ。
「海からの風が強いので、天気予報では雨になっていても、畑がある周辺は降っていないということも珍しくありません。風で雨雲が押しやられて降らないことがあるのかもしれませんね。実際の数値としてはわからないのですが、千葉の中では降水量が少ない方だと感じています」。

『九十九里ワイナリーのワイン造り』
続いては、九十九里ワイナリーのワイン造りにスポットを当てよう。温暖な気候の九十九里町で育つぶどうは、糖度が上がりにくく色付きが薄いため、低アルコールで爽やかなワインになる。
「九十九里ワイナリーのワインは、海を眺めながら飲んで欲しいですね。ビール代わりに気軽に飲める軽めの味わいなので、海やバーベキュー、キャンプなどのアクティビティを楽しみながら飲むのにぴったりです」。
海の町のワイナリーらしく、海産物に合うスパークリングワインをメインにしていきたいと考えている鈴木さん。ワイン造りにおけるこだわりと、おすすめの銘柄を紹介いただいた。
▶︎木製圧搾機を活用
機械に頼りすぎず、自然なワイン造りをおこなっているのが九十九里ワイナリーの特徴だ。仕込みをする際には、破砕は全て足踏みで実施する。また、圧搾には珍しい装置を使っているそうだ。
「『キリン式圧搾機』という木製の圧搾装置を使ってぶどうを搾汁しています。九十九里町は昔からイワシ漁が盛んで、イワシの〆粕(しめかす)を製造するための圧搾装置として使われてきたのが『キリン』です」。
キリン式圧搾機は、日本酒や醤油造りでも使われている装置だ。海で獲ったイワシを肥料にする産業で栄えていた九十九里では、馴染みのあるものだという。全長は約6mで、高さは1.5m。250kgの重りを吊るして、「てこの原理」でプレスする。1〜8tの圧がかかる構造のため、女性ひとりでも楽にプレス作業ができる優れものだ。
「九十九里では昔から使われてきた装置なので、ワイン造りにも取り入れたいと考えました。地元の大工さんにお願いして作っていただいたのです。ワイナリーで導入しているところは珍しいと思いますので、ちょっと自慢です」と、鈴木さんははにかむ。
搾汁する際には、日本酒用の布を置いてから破砕したぶどうを入れる。キリンは全て木製の装置のため、木枠などに雑味や渋みが吸われるのか、すっきりとした味わいに仕上がるそうだ。使用後は分解洗浄することが可能なため、衛生面でも優れているという。

▶︎海の幸に合うワイン
鈴木さんが目指すのは、地元の特産品に合う味わいのワイン。海の幸が豊富な九十九里町では、年間を通じてさまざまな海産物を楽しむことができる。
「海の幸は繊細な味わいなので、食材の邪魔をしないワインを造たいと考えています。主張しすぎないワインが理想ですね。ぶどうそのもののフルーティーさが香る、ほんのりとした酸味と苦味があるワインを目指しています」。
海風が吹き抜ける畑で育つぶどうは、粒のまま口に含むとほのかな塩味を感じることがあるそうだ。そのためワインにも、海に近い土地で育ったぶどうならではの味わいが感じられる。
九十九里町を訪れるきっかけになって欲しいとの願いを込めてワインを造っている九十九里ワイナリー。ぶどうが育った風土に興味を持ったなら、九十九里町に足を運んでみたいものだ。

▶︎フラッグシップワイン「波音」
九十九里ワイナリーがリリースしているワインをいくつか紹介していこう。まず、フラッグシップである「波音」は、九十九里産ぶどうを使ったワインだ。
波の音を聞きながら育ったマスカット・ベーリーA主体のロゼワインで、甘い香りとは対照的に飲み口はさっぱり爽やか。
エチケットの下部には、九十九里浜から臨む水平線をデザインした。ロゼの色味を表現した淡い色合いは晴れた日の夕焼けのような色合いだ。

▶︎毎年アプローチが異なる「べべ」
続いて紹介する「べべ」は、南アルプス産のぶどうを使ったワイン。フランス語で「赤ちゃん」を意味する名前は、ワインの生い立ちが関係している。
「ドメーヌヒデで修行している時に立ち上げた銘柄です。最初に造った年に使用した買いぶどうが、ちょうど初収穫のものだったことと、私自身も新米だったことから名付けました。勉強のために毎年いろいろな造りに挑戦しているので、年ごとに違う味わいを楽しんでいただけますよ」。
毎年同じ造りをするのではなく、全く違うアプローチをしているという「べべ」。これまで、瓶内二次発酵やセニエなど、さまざまな手法を取り入れてきたが、自社醸造を開始した2024年ヴィンテージでは、初心に帰ってオーソドックスなスティルワインにしたそうだ。2025年以降の新たな挑戦も心待ちにしたい。

▶︎「夕焼けこやけ」と「サクラとツキと」
長野産のナイアガラを使ったオレンジワインの「夕焼けこやけ」は、九十九里の夕焼けのような色合いからインスピレーションを受けて名付けた。使用したナイアガラは標高700mの畑で育ったもので、完熟しているが酸がしっかりと残っている。
新酒としてリリースした「夕焼けこやけ」のアルコール度数は7%で、フレッシュな味わいとナイアガラ特有の甘い香りが際立つ。
「チーズやフルーツに合わせて楽しんでいただけるワインです。デザートとも相性がよいので、女性にも人気ですよ」。
最後に紹介する「サクラとツキと」は、長野産のコンコードを瓶内一次発酵した微発泡タイプのペティアンだ。
「造りたての時は、酸がしっかり感じられてすっきりとしたスパークリングワインでした。半年ほど経つと酸味が落ち着いてまろやかになるので、味わいの変化も楽しんでいただけます」。
アルコール度数は軽めの7%で、ネーミングは花見や月見などの季節に乾杯ワインとして飲んで欲しいという意味を込めた。アウトドアシーンでも気軽に飲める爽やかな味わいだ。

『まとめ』
故郷に賑わいを呼び戻したいとの思いで、九十九里ワイナリーを立ち上げた鈴木さん。一番のワイナリーの魅力は「みんなのワイナリー」であることだ。
「ひとりで運営しているワイナリーのため、ボランティアの皆さんの力に支えられています。たくさんの人が自分の家や遊び場のように気軽に来て、栽培や醸造を楽しんでくれる場所を作れたことが嬉しいですね」。
九十九里ワイナリーに足を運べば、畑での季節ごとの作業に参加できる。また、ワインボトルにエチケットを貼る作業などを手伝ってもらうこともあるそうだ。
九十九里ワイナリーの醸造所にはワインバーも併設しており、自社ワインだけでなく千葉県内のワイナリーが造ったワインも楽しめる。千葉ワインの魅力に触れたい人におすすめだ。ワインを深く楽しむためのワークショップやセミナーも計画中ということなので、期待したい。
今後は地元の飲食店や酒販店とタイアップしたワイン会や試飲会も予定しているということなので、最新情報は公式Instagramでチェックしてほしい。
最後に九十九里ワイナリーの最新情報を紹介しよう。コンコードの赤ワインに干しぶどうの澱(おり)を入れた、華やかな香りが特徴の「汐風リパッソ」をリリースした。さらに、スパークリングワインも続々とリリースするということなので、千葉の海産物と合わせて味わうのがおすすめだ。
海が見たくなったら、九十九里浜まで足を伸ばして、九十九里ワイナリーで千葉ワインを楽しむ休日をのんびりと過ごしてみてはいかがだろうか。

基本情報
| 名称 | 九十九里ワイナリー |
| 所在地 | 〒283-0102 千葉県山武郡九十九里町小関2288 |
| アクセス | https://99winery.com/#top_access |
| HP | https://99winery.com/ |
