今回紹介するのは、長野県小諸市の糠地(ぬかじ)地区でぶどう栽培をしている「農花(のうはな)」。園主の岡本なるみさんは、東京と長野での二拠点生活を続けながら、ぶどう栽培に取り組んでいる。
小諸市でのぶどう栽培をスタートする前は、東京で会社員として働いていた岡本さん。もともとお酒が好きで、前職で日本ワインに関わる機会があったことから、ワイン造りに興味を持つようになった。
低農薬を心がけ、自然に近い環境で栽培した自社畑のぶどうは、近隣のワイナリーに委託醸造。野生酵母で醸したワインは、小諸のテロワールを映し出した優しい味わいが特徴だ。
日本ワインの銘醸地のひとつである長野県でぶどうを育てる農花の、栽培や醸造におけるこだわりに迫っていきたい。岡本さんがワイン造りに興味を持ったきっかけと、今後の目標についても詳しく伺った。
『ワインとの出会いと、設立までの道のり』
まずは、岡本さんとワインの出会いから見ていこう。岡本さんは2016年まで、雑誌の編集者として東京で働いていた。当時、スマホやタブレットの普及によって、メディアは紙からデジタルへ急速に移行が進んでいた。
自らの後半の人生について考えていたころ、ちょうど所属していた雑誌で日本ワインの連載を担当することになったのだ。
▶︎ワインとの出会い
連載の監修者だったワインジャーナリストの鹿取みゆきさんから、画家・エッセイストでワイナリーオーナーでもある玉村豊男さんが、長野県東御市でぶどう栽培・醸造・経営を学ぶ初の民間のワイン生産学校「千曲川ワインアカデミー」を開講するという話を耳にした。
「連載がきっかけで、他にもさまざまな出会いがありました。中でも、『ドメーヌ・オヤマダ』の小山田さんのワインを飲む機会があり、日本にはこんなワイン生産者たちがいるのだと、自分の中のワインに対するイメージが覆えるような味わいでしたね」。
折しも、千曲川流域の荒廃農地をぶどう畑に変えて、銘醸地に変えていこうという夢が描かれた、玉村豊男さんの『千曲川ワインバレー 新しい農業への視点 (集英社新書)』が刊行されて間もない頃だった。
もともと農的な暮らしへの強い憧れがあった岡本さんは、「千曲川ワインアカデミーへの入学を決め、会社を40代半ばで早期退職することに決めたのだ。
▶︎小諸でぶどう栽培を開始
長野県が策定した信州ワインバレー構想には5つのワインバレーがあり、農花は「千曲川ワインバレー」に位置する。アカデミー設立から11年が経過し、現在では東信地区の11市町村でつくる「広域ワイン特区」で生産者のみならず流通や飲食などのワイン関連産業に関わる卒業生が多く地元での起業をしている。
2016年、岡本さんがアカデミー2期生として入学した頃は、「千曲川ワインバレー」の構想に共感した人たちが集まりはじめたところで、皆いつかワインを造りたいという機運に満ちていた。そんな「ハプニングしているエリア」に参加するワクワク感もあり、岡本さんのような新規参入者でも入っていきやすい雰囲気があったことも後押しとなった。
岡本さんは子供のころから植物が好きだったが、就農は初めてのこと。千曲川ワインアカデミーに通いながら、東京の家の近くの区民農園で野菜作りに取り組んだほか、卒業後も長野県の栽培セミナーに安曇野まで通うなど、栽培の勉強を続けたそうだ。
家族が暮らす家は東京都内にあるため、関東地方からのアクセスがよい土地と家を探したが、東信エリアは小さな畑に区分され、土地の所有者が複雑に入り組んだ中山間地だ。先祖代々大事に守られてきた農地を借りるのは大変苦労した。小諸市にようやく畑を借りることができたのは、アカデミーを卒業してから2年が経過した2018年のことだった。
東京と小諸市を行き来する生活をスタートさせた岡本さん。東京に残る家族のサポートもあり、夏の間はほぼ小諸で暮らすというスタイルをとっている。

『農花のぶどう栽培』
農花の畑がある小諸市糠地地区は、標高が高く冷涼な気候が特徴だ。減農薬、不耕起、草生栽培を実践するなど、できるだけ環境負荷を減らしたぶどう栽培を心がけている。
自社畑で栽培している品種は、寒さに強いドイツ系品種が多い。また、自身が白ワインが好きなこともあり、農花では白ワイン用品種を多く栽培している。
「土地の味わいを大切にしたい」という農花の、栽培方法やこだわりを深掘りしていこう。
▶︎小諸市の天候と土壌の特徴
農花の自社畑は、南向きの緩やかな斜面にあるため日当たりがよい。小諸市は年間の日照時間が2,000時間を超える。また、降水量も少ないため、ぶどう栽培に適した土地である。自社畑の標高は850mほど。夏でも涼しいだろうと思いきや、最近は暑い日が多いそうだ。
「私が小諸へ移住した2018年頃は、夏でも涼しくて快適でしたが、ここ2~3年ぐらいは暑い日が多いですね。昼近くになると農作業ができないほど気温が上がります」。
標高が高い小諸市でも、ここ数年は気候変動が顕著で、夏の気温が上昇してきているのだ。岡本さんは、短い期間で気候がこれほど変わるとは思わなかったと話す。
一方、小諸市の冬は寒さが厳しい。冬はマイナス10℃以下になることもあるが、雪が少ないのが特徴だ。降雪量が多い土地であれば、ぶどうの樹をすっぽりと雪に埋めて越冬することができるが、雪がない場合には凍害を受ける可能性が高くなる。
寒さ対策をしないと枯れてしまうため、植栽してから3~4年ほどは、特に若木には「藁(わら)巻き」が欠かせない。
「藁をヒモで結ぶため、凍えるような寒さの中でも素手で作業をする必要があります。東信地区のワイン生産者には欠かせない、大変な作業です」。

▶︎珍しい品種の栽培にもチャレンジ
農花の自社畑は広さ約30a。栽培している品種の中には、ドイツ系品種も多い。冬の寒さが厳しい小諸市の気候に合うと考えて選んだという。少量多品種を混植しており、毎年少しずつ品種を増やしてきた。以下が主な栽培品種である。
- カベルネ・フラン
- メルロー
- カベルネ・ソーヴィニヨン
- シャルドネ
- ミュラー・トゥルガウ
- ソーヴィニヨン・ブラン
- ケルナー
- バッカス
- フルミント
- プチ・マンサン
- ゲヴュルツトラミネール
- リースリング
また、ルーサンヌ、トラミネット、ピクプールブラン、ピノタージュなども試験的に少量栽培している。
珍しい品種としては、ハンガリーのトカイ地区が主要な生産地である「フルミント」がある。日本ではあまり見かけないが、世界三大貴腐ワインのひとつである「トカイワイン」に使われていることで知られる品種だ。
貴腐ワインとは、濃厚な香りと甘さが特徴の極甘口ワインで、貴腐菌が付着した貴腐ぶどうを使って醸造される。ただし、貴腐菌が付着したぶどうがすべて貴腐ワインの原料になるわけではない。貴腐菌はぶどうを腐敗させてしまう「灰色カビ病」を引き起こす菌だが、湿度や気温などのさまざまな条件が重なったときだけ、ぶどうの糖度を高める役割をして貴腐ぶどうになるのだ。そのため、貴腐ぶどうの育成はとても難しいと言われている。
「フルミントは、2024年に初めて収穫できたので微発泡ワインのペティアンにしました。小諸の気候だと貴腐ぶどうになる前に腐ってしまうので、今のところ貴腐ワインを造るのは難しいのですが、いつか甘口ワインができたらと期待しています」。
赤ワイン用品種はカベルネ・フランが中心だ。赤も白も、年ごとのぶどうの出来具合でフィールドブレンドの割合を決めている。時には赤用と白用を混ぜたりすることもあり、ロゼになったりオレンジワインになったりする。
「うちのワインは毎年一期一会のブレンドと味です。極小の生産者なので、それも含めて楽しみにしていただけたらと考えています」。

▶︎土壌の力を生かしたぶどう栽培
農花の畑では有機認証は取得していない。休眠期や開花期に化学合成農薬を少量使うこともある。
「当初は有機認証を取ることを目指していましたが、高温多湿な日本の気候では難しく、銅剤を増やすことには抵抗がありました。さらに近年は、雨量の増加や温暖化が進んできています。健全なぶどうを育てるために、どうすれば銅剤や化学合成農薬の両方を最小限で栽培できるか、毎年試行錯誤しています」。
また、畑を耕さない「不耕起栽培」を導入。除草剤は使わず、肥料も散布していない。
「農花の畑は、もともと飼料用のとうもろこし畑でした。肥料を抜くために最初だけ石灰を撒きましたが、それ以降は完全に無施肥です。肥料や殺虫剤をなるべく使わず、土地の生き物や菌類とバランスの取れた栽培ができればと思っています」。
農花の畑では過度に人間の手を加えることをせず、土壌が持つ力をそのまま活用。自然を信じた栽培方法を実践しているのだ。

『農花のワイン造りと、おすすめ銘柄の紹介』
2021年にファースト・ヴィンテージをリリースした農花。小諸市の「Terre de ciel(テールドシエル)」と東御市の「ツイヂラボ」に醸造を委託している。
経験豊富な醸造家から学ぶことが多いと話す岡本さん。農花のワインの特徴と、農花が目標とするワイン造りについて伺った。おすすめ銘柄もあわせて紹介しよう。
▶︎多品種を使う「フィールドブレンド」
白ワイン用品種を多く栽培している農花の自社畑。樹が育つにつれて、岡本さんにはある悩みが出てきたそうだ。
「土地に合う品種を探すために、さまざまな品種を植えました。3年くらいすると、思いのほか、どの品種もしっかりと成長してきたのです。しかし、植えている本数が少ないものもあり、単一品種で仕込むには収量が少なすぎる点を懸念していました」。
その際、同じく糠地にあるワイナイリーで委託醸造先でもある「Terre de ciel」の桒原(くわばら)さんに畑に来てもらって、アドバイスを受けたことが突破口となったと当時を振り返る。
「同じ畑で育った違う品種を、全て一緒に仕込む『フィールドブレンド』という方法があると教えていただきました。複数品種の混醸で、成熟期が違うぶどうも混ざり合って複雑味が出て面白いのだと知り、目からうろこでしたね」。
▶︎農花が目指すワイン
農花のワインは、野生酵母で発酵させている。当初から野生酵母にこだわっていたわけではないが、委託醸造先が野生酵母で醸造しているワイナリーであったことから、次第にそう考えるようになったのだ。
「選抜された酵母を使えばさらに美味しくなるのかもしれませんが、土地に由来する酵母で発酵することが、ワインの個性になるのではないかと考えるようになりました。何もわからないところから始めたワインづくりですが、勉強しつつ走ってきた中で、ようやく最近になって、造りたいワインをイメージできるようになってきましたね」。
小諸市糠地は日照時間が長く、しっかりと熟して酸も高いぶどうが採れる土地だ。糠地のワインは、爽やかで優しい味わいが特徴。2024年は雨が多く糖度も上がらなかったが、補糖はしていない。
「そのせいで、2024年のワインは度数9%ほどの低アルコールに仕上がりました。年ごとのぶどうにはそれぞれ足りないところもありますが、その年の糠地の味を体現したワインになればいいのかなと思います」。

▶︎委託先を信頼して任せる醸造
2社に委託醸造している農花のワイン。醸造に関しては、委託先の醸造家に任せるのが岡本さんのポリシーだ。
「委託醸造の場合でも、もっと自分がコミットしたいというタイプの人はいると思います。しかし、私は醸造については、醸造家の方に実際にぶどうを見ていただいて判断した方法がいちばんよいワインになると思っています」。
岡本さんのこの考え方は、編集者時代の経験が大きく影響しているそうだ。
「デザイナーやイラストレーターに仕事を依頼するときに、編集者が細かく指示しない方がよい仕上がりになったりします。イメージをしっかりと伝えた上で、自由にお任せしていました。醸造についても、そのときの感覚に少し似ていますね」。
岡本さんが委託先の醸造家を尊敬し、信頼しているからこそ安心して任せられるのだろう。出来上がる直前に試飲する際には、醸造をお願いしたぶどうがどんなワインになっているか、本当にワクワクするそうだ。
「自分で栽培したぶどうがこれほど素晴らしい味わいのワインになるのかと、試飲のときはいつも感動してしまいます。この瞬間が、ぶどう栽培とワイン造りをする中で好きな時間のうちのひとつですね」。

▶︎農花のおすすめ銘柄
農花のおすすめワインをいくつか伺った。最初に挙げていただいたのは、樽熟成の「糠地ブラン」。
「自社畑の白ワイン用品種を全て混ぜて造ったフィールドブレンドです。ほどよく複雑味がある白ワインになりました。ぶどうの色々な味わいが口の中に広がり、フィールドブレンドならではの魅力が感じられます」。
次に紹介いただいたのは、カベルネ・フランにメルローを2割ほどブレンドした「糠地ルージュ」だ。
「糠地ルージュは、軽やかな赤い実の香り、フルーティで飲みやすい赤ワインです。アミノ酸系の滋味が感じられ、日本食にも合います」。
岡本さんは農花のワインを飲むとき、地元で採れた果物や野菜と一緒に楽しむのがお気に入りだそうだ。
「自家製の干し柿にクリームチーズを乗せると、ワインとよく合います。赤ワインには、ごぼうやれんこんのから揚げなどもおすすめです。赤ワインはこってりした料理と相性がよいといわれますが、土っぽいニュアンスにも合いますよ」。
「糠地ブラン」「糠地ルージュ」は、ワイン初心者でも気軽に挑戦できる味わいのワインだ。農花の公式サイトでは、ワインを取り扱っている東信地区や東京のレストランが確認できる。ボトル販売は農花のオンラインショップのみだが、少量生産のため発売と同時にすぐ完売になる。販売情報は公式サイトや公式SNSで確認でき、農花のメルマガに登録すると販売のタイミングでメールが届くのでおすすめだ。

『農花のエチケット』
農花のワインボトルは、岡本さんのイラストを使用したものも多い。子供のころから絵を描くのが好きだったという岡本さんのイラストが、ワインをより魅力的に引き立てる。エチケットデザインについてお話いただいたので紹介したい。
▶︎岡本さんが描くエチケット
岡本さんは昔から趣味で絵を描いており、30代の頃には展覧会に自身の作品を出展したこともあるそうだ。
「父の仕事がアニメーション関係だったので、私にとって、絵は小さな頃から身近な存在でした。父と一緒に絵を描いて遊ぶことが多かったですね。しっかりと学んだことはなかったので、社会人になってから学校に通ったり、カルチャーセンターにボタニカルアートを習いに行ったりしました。メソッド通りにきちんと描くより、自分の思いのままに描くのが好きですね」。
再び絵を描き始めたのは、病気で畑に行けない時期があったためだ。
「2021年に大病を患って療養していました。新型コロナの流行とも重なって外に出られない期間が長かったので絵を描き始めたのですが、絵を描くことは私にとって、写経のように心を落ち着かせるものでした。畑に思いを馳せながら、たくさん描きましたね。病気で部屋に閉じこもっていたせいか、植物の持つ生命力が恋しくなったのです」。
免疫力が下がっているため、土や花に触れることが難しい日々。東京の自宅で療養していたときに、糠地の畑に触れたいという気持ちを絵に込めて、農花のエチケットに使っているイラストが誕生したのだ。繊細で優しいタッチの中に、自然の美しさや力強さが感じられる。
農花の公式オンラインショップでは、岡本さんが描いた絵をポストカードとして販売している。気になる方は、ぜひチェックしてほしい。

▶︎夢はハウスワインを提供する農家民宿
「ハウスワイン特区」とは、自家栽培した果実を使って農家がワインを醸造できる制度だ。最低製造数量基準が緩和されるため少量からの製造が可能で、ワインは特区内の飲食店や宿泊施設などで提供できる。
「かつてバックパッカーとしてヨーロッパを回っていたとき、海外の方にとても親切にしていただきました。そのため、日本に来た海外の方に恩返ししたいという夢があるのです。自宅をリフォームして農家民宿をオープンし、泊まれる場所とワインを提供できればと思っています」。
少しずつではあるが、準備を着々と進めているそうだ。宿泊者に自分で作ったハウスワインとおつまみでおもてなしするのが夢だという岡本さんが造るワインは、あたたかい人柄をそのまま映し出した、優しい味わいのワインになるだろう。
「販売分はこれまで通り委託醸造して、残ったぶどうを使って自分でワインを造りたいですね。自宅にはワイン会ができるようなスペースも作って、ワインと軽い食事を提供できる場所にしたいと思っています」。

『まとめ』
糠地のテロワールが存分に感じられる農花のワイン。ヴィンテージごとのぶどうの特徴をそのまま表現しているため、毎年どんな味わいのワインになるのか気になるところだ。
「私は、これまで出会った人たちへの恩返しの気持ちで、ぶどう栽培とワイン造りを始めたところもあります。当初は知り合いが買ってくれることが多かったのですが、今では嬉しいことにファンになってくださる方が少しずつ増えてきました」。
ワインを手にしてくれた人は、みんなファミリーのような存在だと考えている岡本さん。農花のワインを楽しく飲んで、素敵な時間を持ってくれることを願っている。
農花のワインは販売本数が少ないため、岡本さんが1本ずつラベルを貼って発送している。購入された方全員が知り合いのような感覚だそうだ。ワインが縁を繋ぎ、畑に遊びに来てくれたり、収穫の手伝いに来てくれたりと、お客様との交流も深い。ワインを飲んだ感想を報告してくれることが、とても嬉しくやりがいになっているという。
農花から今後リリースされるワインや、農家民宿のスタートなどの新たな取り組みに、引き続き注目していきたい。

基本情報
| 名称 | 農花 |
| 所在地 | 長野県小諸市滋野甲 |
| アクセス | https://nouhana.com/about |
| HP | https://nouhana.com/ |
